第1回 ヤングケアラーを知っていますか?

◆「ヤングケアラー」とは?

 みなさんは、「ヤングケアラー」という言葉を聞いたことがありますか?2021年の流行語大賞にもノミネートされました。この言葉から、どんな子ども・若者をイメージするでしょうか?
 私は、2017年から、公益財団法人京都市ユースサービス協会の「子ども・若者ケアラーの実態にかかわる事例検討会」事業(以下、事例検討会)に発起人としてかかわってきました。ケアという言葉から、介護をイメージされる人もいるかもしれませんが、家庭の中のケアは実に多様です。認知症の家族の見守り、長期に及ぶ病気の家族の看病、精神疾患の親への情緒的サポート、幼いきょうだいの世話、障害児にきょうだいという立場でかかわること、外国ルーツの家庭の中で親に代わって通訳をすることなども含まれます。まだまだ聞きなれないかもしれませんが、「ヤングケアラー」という言葉によって、介護だけではなく、家族の中には実に多様なケアがあるということに、ようやく光があてられるようになってきました。

◆全国調査で見えてきたこと/まだ見えていないこと

 実は、ヤングケアラーには法令上の定義はありません。厚生労働省では、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている18歳未満の子ども」と定義しています。厚生労働省と文部科学省が、令和2年に全国の中学2年生と高校2年生に対して行った実態調査(以下、全国調査)によれば、中学2年生の5.7%、全日制高校2年生の4.1%がヤングケアラーであることが明らかになりました。つまり40人学級に1~2人ヤングケアラーが存在します。また、全国調査からは、1日7時間以上何らかのケア役割を担う中高生が1割程度存在しており、勉強やクラブ活動への影響、友人とのつきあいなど、学校生活にも影響が及んでいることが明らかになりました。
 しかし他方で、ケアを理由として定時制高校や通信制高校に転校するケースがあることも明らかになってきています。教育機関による違い、あるいは地域による違いなどにも考慮する必要があり、今後、各地方自治体でのより詳細な実態調査が必要です。また、不登校やひきこもり、教育機関とつながっていない子どもたちの状況、18歳以降のケアラーの状況などについては、まだほとんど明らかになっていません。

お手伝いと何が違うの?

 ヤングケアラーはしばしばお手伝いと混同されることがあります。お手伝いは、子どもの生活的自立という観点から、すべての子どもがやったほうがいいこととみなされます。しかし、親・保護者の見守りの下で行われているか、友人と遊ぶ時間など、ほかの活動・生活を圧迫しないようにきちんと管理されているか、そして何よりも「やりたくない」という選択肢がどの程度保障されているかという点で、お手伝いかケアラーかどうかを見分けていく必要があります。最初は一時的なお手伝いからスタートしますが、徐々にケア役割が固定化し離れることができなくなっていきます。

◆ケアがある家庭で育つということ

 ケアラーのライフコース(図1)

 ケアラーになるということは、私たちの人生にとって、どのような意味があるのでしょうか。どのライフステージでケアラーになるかによって、直面する課題は異なります(図1)。教育期間を終えて自分自身のキャリアが安定している成人ケアラーとは異なり、自分自身の人生の土台作りにあたる人生の前半期にケアラーになる場合には、自分自身の進路選択やキャリア形成、人間関係や健康など、多方面への影響を免れられません。 

 私が、ヤングケアラーの経験に耳を傾ける中でよく耳にするのが、「罪悪感」という言葉です。大学進学したいけれども、家族を残して一人暮らしをすることへの「罪悪感」、家族への負担にならないように、学費の高い私立の学校は選択しない、ケアと両立しやすい自宅から通いやすい学校だけを選択する、何かが起こった時にすぐにかけつけられるように、遠方での就職は選択肢にいれていないなど、ケア役割を手放すことができずに、自分自身の可能性や夢にチャレンジすることをあきらめてしまうヤングケアラーがいます。家族はお互いに支えあわなければならないという、家族責任規範が、子ども・若者にも深く内面化されており、それを相対化する視点をもつことが難しくなっていることがうかがえます。

ケアラーであるということは、物理的・感情的・時間的な関与を必要とする直接的なケアだけを意味しない、という点を理解しておく必要があります。つまり、ケアラーは、いつ何時でも、容態の変化といった緊急時には、かけつけてケアできるような態勢に自分をおいておく必要があります。また、直接ケアにかかわっていないとしても、すなわちケアラーでなかったとしても、自分の家族の中にケアがあることの余波を、子ども・若者は受けざるを得ません。リビングでテレビがみたいけれども、障害のあるきょうだいが騒いているため自室に籠るしかない、認知症の祖父が夜中起きるので、受験勉強に集中できないといったことが、ケアがある家庭生活の中では日常茶飯事なのです。
 現在の日本の家族は、数少ないメンバーで、家族が生活できるだけの収入を確保すると同時に、突然降りかかってくるケアのリスクに、総動員で対応せざるをえません。だからこそ、子ども・若者であっても、家事やケア責任を引き受けなければならない状況が発生しているのです。高等教育を中心とする高い教育費は、子ども・若者の進路選択に直結すると同時に、家族への大きな経済的負担となっています。大学進学のために高校生の時からバイトを続ける、大学入学後はバイトで自分の学費を払い続ける、こうした子ども・若者の存在も、子ども・若者ケアラーと地続きであることをきちんと理解する必要があります。

◆切れ目ない支援の必要性-「子ども・若者ケアラー」という視点

 国の定義では、ヤングケアラーを「18歳未満の子ども」と、年齢で限定しています。「保護」や「救済」の対象としての「子ども」への支援は、国民的合意が得やすいという政策課題上の特性があります。他方で、社会的弱者としての子どもという側面が強調されればされるほど、18歳以降の大人は、「自己責任」として切り捨てられてしまう危険性があります。子ども・若者が担うケアの実態をみれば、むしろ18歳以降、公的支援や利用できる社会資源も激減し、社会的孤立が深刻になるケースが多いのが実情です。こうした「18歳の壁」は、ケアラー固有の問題ではなく、社会的養護や虐待、貧困など、家族に依存することができない多くの若者にとって深刻な問題です。こうした理由から、私は、事例検討会でも、「ヤングケアラー」ではなく、あえて「子ども・若者ケアラー」という言葉を用いています。例えば、全国で初めて、ヤングケアラー支援に特化した支援担当課を設置した神戸市は、その窓口を、「子ども・若者ケアラー支援担当課」とし、18歳以降も含めた支援に取り組んでいます。さらにいえば、「子ども/大人」という二分法にとらわれることなく、ケアを担うことによって生じる社会的脆弱性を継続的かつ包括的に支援する視点、すなわち、全世代のケアラーに対する支援、すなわち「ケアラー支援」という考え方が重要になってきます。