第2回 自己肯定感を高めるために

 「自己」すなわち自分自身を「肯定」=良しと思う感覚、「自己肯定感」。この感覚が高まれば、余裕を持ち、自由にしなやかに過ごせ、自分自身を楽しめるようになります。この「自己肯定感」がない、という人はいません。誰もが本来持っている感覚なのですが、残念ながら様々な理由で自己肯定感が低くなってしまっています。では、どうしたら高めることができるのでしょうか。「自己肯定感」を高めるためのヒントについて述べていきます。

1.「自分」を知る

 「自分」を「良し」と感じるためには、まずは「自分」を知ることが大切になってきます。「女性である」「〇〇歳です」「出身は〇〇県です」「仕事をしています/専業主婦(夫)です」・・・これらは全て「自分」を表しています。例えば、筆者について表してみると・・・
・名古屋人 ・ミステリー好き ・左利き ・歌が得意 ・虫が苦手 ・坂道きらい ・ホラー映画大好き
・三日坊主 ・ドライブ好き ・お月様を見るのが癒やし ・運動苦手 ・仏像好き ・概ね健康  ・・・
 このように、「自分」とは、様々な要素を伴った集合体と言えます。よく何か非難・批判されて「私ってダメね」と落ち込むことがありますが、ダメな部分は一部であって、全体のことではないと言えます。「その部分は欠点かもしれないけれど、他にもいろいろある」と捉えることができます。また、これらの「自分」を構成する要素は日々変化もします。今はいろいろ思い当たることが、3ヶ月後、1年後には全然別の要素が表れてくるかもしれません。これらの要素一つ一つを、大切な「自分」として認識していきます。

2.「気持ち」を認める

 次に、意識したいのが「気持ち」です。私たちは「感情の動物」と言われるように、様々な「気持ち」を感じます。「感情」は「出来事に対する反応」と言われ、「出来事」に対して必ず何らかの「気持ち」が表れるものです。「何も感じない」という人がいますが、その人は「感じていない」のではなく、「感じていることに気づいていない」のです。このように、私たちはいつも感情に動かされているのですが、成長するにつれて「感情的になるのは大人げない」「いつも冷静でいるのが良い」と、「気持ち」をないがしろにするようになってきました。そうはいっても感情は止められるものでもなく、従って「気づかない」ようにして過ごすことになります。だからといって「気持ち」がなくなるものではなく、特に「腹が立つ」「辛い」「悲しい」「悔しい」など不快に感じる「気持ち」はいつまでも残ることになります。それらがたまってきて、ある日何かのきっかけで爆発する、ということにもなりかねません。
 「気持ち」は「出来事の反応」と述べてきました。では、その出来事によって「快」「不快」の感情が表れるのはなぜでしょうか。それには「欲求」が関わってきます。出来事によって欲求が満たされれば「快」の「気持ち」が感じられ、欲求が満たされなければ「不快」の「気持ち」となってきます。例えば、おなかが空いている時においしい物を食べられれば欲求が満たされてうれしいという「快」の気持ちを感じますが、レストランが混んでいてなかなか頼んだ物が来なかったりすると、欲求が満たされずイライラしたりという「不快」な気持ちを感じます。「気持ち」は私たちの「欲求」を知らせてくれるサインとも言えます。
 そして、その「気持ち」を知ることは、「感じていることを認める」ことにもつながっていきます。例えば先程のレストランでの出来事に関して見ていきましょう。頼んだ物がなかなか来なくてイライラするけど我慢していると、ようやく持ってきた店員に思わず「遅かったですね」とイヤミを言いたくなったり、焦って食べておいしく感じなかったり・・・と悪循環に陥っていきます。それを、「私、今怒っているんだ。そうだよね、早く食べたいのに待たされているから焦ってイライラするのは当然」と自覚することで「気持ちを認める」ことになり、そうなると不思議と「怒り」の感情は解消されて、欲求に基づき対応できるようになります。この場合だと、店員に「まだですか」と尋ね、どのくらい待てばいいか分かり安心したり、間に合わなければテイクアウトにしたり・・・と対応できるようになります。不快な感情がたまることも解消されていきます。
 今、どんな「気持ち」ですか?それはどんな欲求が満たされている/満たされていないのでしょうか。「気持ち」を知り、認めることは、自分自身の状態を知る上で重要な要素となってきます。

3.「良し」という思いを養う

 さて、自分を「良し」と思う感覚を持つためには、常日頃から「自分」を「良し」と思うことが必要です。「私のやっていることは大したことではない」「当たり前のことだ」と自分に厳しくなっていませんか?何気なくしていることも「自分を生きる」大切なプロセスです。自分を認めるためにも自分自身に声をかけてあげましょう。

  • 「私はよくやっている」・・・自分自身がしたことに目を向け、それを大切にする
  • 「大丈夫だ」・・・リラックスする
  • 「私はできる」・・・自分を信じていく
  • 「きっとうまくいく」・・・完璧にできることはないかもしれないけれど、自分なりにできることがある

等々・・・
 そして、これらの自分をどうぞねぎらってください。
 自分に声をかけるコツは、声に出して言うこと。鏡や手洗い、冷蔵庫など1日のうちに必ず見たり行ったりする物/場所にこれらの言葉をメモで張り出しておき、目にしたら必ず読み上げる、という工夫をしても良いかもしれません。どうぞ自分を褒めてください。言い聞かせていくうちに不思議と力がわいてきます。

4.他者との違いを認める

 私たちは幼少時から「みんなと同じが良い」と協調性を求められてきました。皆と少しでも違っていると「空気が読めない」「不思議ちゃん」などとそれが「いけないこと」とみなされ、疎外されてきました。しかし、そもそも私たちは唯一無二の存在です。似ている人はいるかもしれませんが、一人ひとり違う存在です。
 「自分」のことを考え、主体として見るようになると、「自分」という存在がはっきりしてきます。「違う」ということに良いも悪いもないことに気づいていきます。「こう思っている」自分を認められるように、「別のことを思っている」他者も認められるようになってきます。
 「自分」を「良し」と感じることは、同時に「他者」を「良し」と感じることにつながっていきます。

5.心の栄養をもらう

 私たちは社会から「~であるべき」「~するものだ」という様々な規範や社会通念を押しつけられ、本来の自分よりも「あるべき姿」を求められています。それらの力があまりにも強いので、自らも「~でなければならない」と社会に沿うように本来の自分を否定してきました。しかし、「自分」には自分だけが持っている個性・特徴・力・信念・経験等も蓄積されています。自分自身に愛情を向け、受け入れていき、尊重することによって「自分」を肯定でき、信頼できるようになってきます。
 このように「自己肯定感」を養い、高めていくと自分自身の感覚が変化すると共に、他者との関係も変わっていくことになります。他者からの心の栄養・・・「愛情」「信頼」「肯定」「受容」「共感」「尊重」をもらうことによっても「自己肯定感」は高まるでしょう。これらの栄養は、実は身近なところでけっこうもらっていたりします。他者が「自分」に対して、例えば建物に入るときにドアを押さえてくれていたり、席を譲ってくれたり、挨拶してくれたり、「ありがとう」と言ってくれたり・・・。何気ない所作ですが、どれも「他者」として認め、尊重しているが故に表れることと考えられます。しかし、自分自身に心の栄養をあげていないとそれにも気づかずに通り過ぎてしまうかもしれません。
 自分を認め、慈しみ、大切にして、他者からも心の栄養をもらいましょう。