第1回 目黒区事件からみる児童虐待とDVの関係

 2018年3月、東京都目黒区で5歳の女児が、虐待を受けて亡くなった。6月になって、養父だけでなく実母が保護責任者遺棄致死罪で逮捕され、同時に女児が書いた反省文が報道された。
 「もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします」
 5歳の女児が書いたとされた言葉に、社会は騒然となった。さらに2019年1月、千葉県野田市で10歳の女児が父親からの激しい暴力の末に亡くなった。これらの事件を受けて、政府は6月には児童福祉法を改正し、虐待防止に関する市区町村の体制強化、体罰禁止、配偶者暴力相談支援センターと連携強化、地域を移動する家族への適切な対応などを打ち出した。
 二つの事件を通じ、DVと虐待との関係が注目された。
 私は2000年に児童虐待防止等に関する法律(児童虐待防止法)が施行された当時から、児童虐待死事件を取材してきた。正直なところ、DVと児童虐待の関係について、明確に意識したことがなかった。だが、2019年9月に、目黒区事件の母親の裁判を傍聴し、その後拘置所内で母親に十回以上面会。さらに、母親が拘置所内で書いた『結愛へ 目黒区虐待死事件母の獄中手記』の出版に関わり、改めて暴力とは何か、親密な関係での暴力とは何か、と考えることになった。

 この事件の母親はシングルマザーとして生活していたが、元夫と2015年11月ごろから一緒に暮らし始めた。2016年4月に入籍。元夫は女児を養女にした。すでに、母親は下の子どもを妊娠していた。
 当初、養父は優しかったが、籍を入れると、態度が変化する。女児をきちんとしつけるようにと、実母への長時間の説教が始まった。一度始まると2、3時間続く。このとき実母は、8歳年上で、東京の大学を卒業している夫に、子育ての判断を委ねてしまったように見える。夫をさらに怒らせないようにと、メモを取り、正座をしながら話を聞いた。説教が終わると「怒ってくれてありがとう」と礼をいった。
 夏に、家族3人で海に行った。女児は水に顔をつけることができなかった。養父は実母に、女児に水に顔をつける訓練をさせるように命じた。会社から帰宅するたびに、できるようになったかと妻に問う。できないと答えると、夫は小言を言った。妻は夫に従い、風呂場で女児の頭を上から抑え、「早く顔をつけないと、押すよ」と脅した。母子で仲良く過ごしていたシングルマザー時代には、あり得ない行動だった。
 この声を聞いた隣家の住民が児童相談所(以下、児相)に通告した。

 ここで私自身、思い出すのが、2019年6月に出演したEテレの『ウワサの保護者会』という番組での体験だ。この回は、体罰の法規制がテーマだった。
 丸テーブルには、数名の保護者たち。尾木ママ、司会者、それにゲストの私が座った。番組では子どもを叩いてしまう親はお面をつけた状態で登場する。叩かない親は顔を出している。
 叩かないと子育てができないと訴える母親の家庭に、カメラが入った様子がモニターに映し出される。二人のやんちゃざかりの男子小学生を持つその母親は、学校から帰ってきた子どもに、次々にするべきことを伝えていく。しかし、子どもたちは母親の思い通りには行動しない。母親の声のイライラが強まっていく。その映像を見ながら、この母親は次のような趣旨のことを言った。
「学校からは早寝早起き朝ごはんというプリントがきます。その3つを全部やらせようと思うと、子どもを叩かないではできません」
 すると、叩かないという親がこんなふうに発言した。
「私の子どもも学校からプリントをもらってくるけれど、その三つのうち、一つできればいいと思っているんです。ですから叩きません」
 なるほどと思った。
 親が状況に対し、主体的に対応できれば、子どもに暴力的に対さなくてもいい。だが、親が自分で判断を棚上げして、そうしなければいけないと思い込めば、叩いてでも言うことを聞かせなければならない。「こうでなければならない」という規範が強く、逃れることができなければ親は追い詰められる。
 親たちが規範から離れ、自律的に判断できることはとても重要なことなのだ。

 目黒区の事件の場合、家庭の中の規範をコントロールしていたのは夫だった。
母親には、家庭を壊すわけにはいかないという思いがあった。前夫に比べ、夫は経済的に安定しており、家事育児も手伝う。夫に従うべきだ。そう考えていたのではないか。
母親は「結婚直後、精一杯頑張った」と私に語った。
この母親は、実は、生真面目な人だ。頑張る人だ。法廷でもできるだけ正確に話そうと努力していた。一方「正しさ」の前に、自分自身の中の違和感や苦しさ、感情は封じ込めていた。自分を信じる力が弱いのだ。
 そんな中で、状況が進行していった。元夫は母親の傍らで、11月には女児の腹を蹴飛ばした。これは子どもへの虐待だ。それだけでなく、パートナーが大事にしているものを傷つけるDV行為でもある。12月末には、女児に暴力を振るい、娘が一時保護される。
 このとき母親は、子どもと一緒に自分も連れて行って欲しいと女性警察官に頼んだ。すると、体のどこかにアザがあるかと尋ねられる。ないと答えると、それでは一緒には行けないと言われた。母親はこの言葉に、自分はDVではないと思う。対応した警察や児相側は、支配やコントロールがDVであるとの認識がなかった。それはとても残念なことだった。
 2月になり、女児は一度家庭に戻されたが、3月に再び暴力を受けて一時保護になった。このとき女児の唇と頭、耳、お腹に傷やアザがあった。だが、養父は暴力を認めなかった。娘が嘘つきで困っていると、警察に食ってかかった。母親は、夫が娘に暴力を振るったと考えたが、口裏を合わせた。夫が逮捕されては困ると思っていた。毎晩、児相、警察、検察にどう説明するべきか、夫から特訓を受けた。
 拘置所で話を聞いたとき、母親は「今もある考えが浮かんで、それが自分の考えなのか、元夫の考えなのか、よく考えないとわからない」と言った。夫に長時間の説教を受けているときには、自分の体の中に夫の考え方が入ってくるそうだ。だが、その考えが「緩んでくる」と離婚したいという、自分の感覚を感じられるようになる。
 DVでは、ストレスが蓄積する時期、激しい暴力が出現する時期、謝罪をして優しくなるハネムーン期がサイクルで起きると言われる。この家庭にも、そうしたサイクルがあったのだ。
 このような状況にあっても、家族全体の目標は、子どもをしっかり育てることにあったようだ。決しておかしな家族を作りたかったわけではなく、「幸せになりたい」と言う願いをもち、その実現に向けて邁進していた。
 2017年12月中に養父は仕事を辞めて、東京に移動する。母親の話によれば、結婚当初から、東京に移動する話は出ていたと言う。その少し前、養父が転居に気持ちを向けた頃から、子どもへの暴力はおさまっていった。こうした状況を、支援する側は、適切な介入が行われたため、家族は良い関係にあると判断していた。1月4日には、児相は児童福祉司指導措置を解除した。
 2018年1月23日、母親はもうすぐ小学生になる女児と、1歳4カ月の息子を連れて、新幹線で上京する。養父は就職ができていない。2月上旬、女児の目のあたりには黒いアザができていた。養父に殴られたのだ。さらにその後、養父は母親から女児を取り上げ、その養育を自分の役目にする。2月9日に、香川児相から連絡を受けた品川児相がこの家族を訪ねるが、母親はアザがある娘に会わせない。2月20日の小学校の入学説明会にも子どもを同行しない。
 3月2日。目黒区のアパートで女児が亡くなった。体には170箇所ものあざや傷跡があり、16.6キロあった体重は4キロ以上落ちていた。

 母親は事件後、弁護士や心理士、精神科医などからDVに関して学び、自分自身の体験を理解していった。その上で裁判を受け、懲役8年の判決を受け、現在控訴中だ。
 暴力を受けるとは、他者の物語を生きさせられることなのだ。それが苦しいとき、さらに弱い者への暴力を行使してしまう。生きる主体であるということは、暴力を拒否する力に、深くかかわっているのだ。