第2回 スポーツと男女共同参画について

1.世界女性スポーツ会議と会議の成果物

  1. ブライトン宣言

      1994年に第1回世界女性スポーツ会議がイギリスのブライトンで開催された。82カ国から282名が参加した。この会議の最終日の決議文である『ブライトン宣言』は、後に、スポーツ界における世界の男女共同参画の動き(ムーブメント)に、大きな影響をもたらすこととなった。
      当時のヨーロッパでは、北欧ノルウェーのカリー・ファスティング氏(現在ウィメンスポーツ・インターナショナルというNGOの会長)などの社会学者を中心に、ヨーロッパ女性スポーツ会議の開催の準備をしていた。そのタイミングで、イギリス政府(UKスポーツ)がイギリス連邦に加盟する国々の人たちへも参加を呼びかける会議へと発展させ、結果的にヨーロッパレベルに留まることなく、世界会議に発展したのだ。
     また、この会議で最も素晴らしかったことは、今までのように、人々が一堂に会して意見交換をし、そして記念写真撮影をするという表面上の国際交流だけで終わらなかったことである。会議の成果物、すなわち「決議文」という形で参加者の意見を丁寧にまとめ上げた。そしてそれを参加者がそれぞれの国に持ち帰り、組織単位でその「決議文」に同意する場合は「署名」し、実行を誓うという具体的な「アクション」を起こさせることに成功したのである。この新たなアクションが後にどれだけ貴重な女性とスポーツの歴史を打ち立てたかは、前回にも紹介した国際オリンピック委員会(IOC)をはじめとする300以上の国際的、国内的な権威ある組織が『ブライトン宣言』に署名をし、実際に女性とスポーツのムーブメントが沸き起こり、そして様々な変化が起こり始めた事実からも明らかである。
     この雲を掴むような女性とスポーツの国際的な「ムーブメント」のメカニズムを簡単に分析してみよう。まずは、必要とされる重要人物を一堂に集め、国際会議を開催→参加者による宣言の作成→同意を取り付けて署名の要請→署名とともに実施への勧告、ということになる。
     『ブライトン宣言』の内容は10か条に及ぶ原則から構成されているものであるが、実際にはその10か条の原則を実施させる(アクションを起こさせる)ための「道具」として用いることに意義がある。すなわち、『ブライトン宣言』への署名という行為に意義がある。これまでは、どうやって雲を掴むような「ムーブメント」を人々に認識させていくのかがわからなかったのである。しかし、この様に「ブライトン宣言への署名」→「具体的な10の原則の実施への約束」という形へと具現化した点が、無形のものを理解することに対する分かり易さへつながり、そして具体的なアクションへと結びついたと考えられる。
     さらに、この「第1回世界女性スポーツ会議」の成果は1.『ブライトン宣言』のみならず、2.「5大陸を網羅する女性とスポーツに関する国際戦略の確立と発展について」も同意され、3.国際女性スポーツワーキンググループ(IWG)の設立、4.4年に1度国際会議を実施することを決定した。しかしながら、このIWGという作業部会の存在とIWGが企画・運営する国際会議というムーブメントを表現するイベントが存在しなければおそらく女性とスポーツの「ムーブメント」を世界中の人々が実感することはできなかったであろう。

  2. 第2回会議以降の成果物

    下図はこれまで行なわれた世界会議の開催場所を表したものである。1998年の第2回世界女性スポーツ会議の決議文は『ウィンドホーク行動要請』というものであったが、『ブライトン宣言』を具体的に行動に移すために誰に対して何を要請するかを示したものである。また、2002年の第3回世界女性スポーツ会議では『モントリオール・ツールキット』(行動をおこすための道具箱)が参加者に配布された。実際にアクションをするための道具箱であり、女性スポーツを推進するために、自らが具体的に何をどうすればよいかを紐解いたガイドブックであり、これが英仏西の3ヶ国語で発表された。後にJWSは和訳を行なった
    (http://www.iwg-gti.org/j/montreal/toolkit_j.pdf)。これは様々な状況に応じて編集することも可能であり、大変便利な道具箱であった。そして、2006年の熊本で開催された第4回会議である「2006世界女性スポーツ会議くまもと」では、参加者の今後4年間の決意をアジアの精神を用いて表現した『熊本協働宣言』を発表した。(http://www.iwg-gti.org/kumamoto2006/pdfs/kumamotocommitment.pdf)

    注意現在このページはご覧いただけません

    図1

2.今後の方向性(ワーキンググループから委員会へ)

 IWGは国際女性スポーツワーキンググループと呼ばれるワーキンググループ(作業部会)であり、メンバーは報酬もなく、ひたすら女性とスポーツを国際レベルで推進することを願って活動するボランティアグループである。1998年の第2回世界女性スポーツ会議(ナミビア・ウィンドホーク)まではイギリス政府(UKスポーツ)が、後に2002年の第3回世界女性スポーツ会議を開催するカナダ政府(スポーツ・カナダ)が事務局を引き受けた。各国政府が引き受けることにより、事務局員の人件費や会議開催の最低必要経費を捻出することができていたが、それでも、会議参加のための旅費は各自持ちであり、国際的な活動のための慈善団体であった。そして2002年から4年間は熊本市の財政的な支援を受けてJWSが事務局を引き受けた。様々な他の組織が会議参加のための旅費を出すことが通例になっている状況の中においては、自費で会議に参加するというルールは非常に厳しいものであった。しかしながら、IWGの基本姿勢はこれをやり通すことに意義があった。
 ワーキンググループとはとても柔軟性に富んだグループである。そして自由自在である。したがって拘束力もない。しかし、この自由な性質がこれまでの女性とスポーツの世界を変えてきたことは事実である。国際オリンピック委員会も1995年にIOC内に女性スポーツワーキンググループを作り、2004年に女性スポーツ委員会に昇格するまで活動してきた。委員会に昇格することは事業計画提出、それに伴う予算配分を得る可能性をも意味することもあって、IOC女性スポーツ委員会はIOC内での地位を獲得したと考えられる。およそ10年かかり、委員会に昇格したことの意義は大きいと考えている。 
 アジアではアジア女性スポーツワーキンググループ(AWG)が存在する。ヨーロッパの女性スポーツグループ(EWS)のルールを学んで、2001年にアジア用に編集し直して組織したものであるが、ヨーロッパもこの柔軟な体制を変える動きが出ている。アジアは2003年にアジアオリンピック評議会に女性スポーツ委員会を設立したことにより、このAWGの存在意義が論議され始めている。
 活動を始める際には、ワーキンググループという柔軟な体制と、変革を起こす働き蜂のような存在が重要であるが、組織化が進むにしたがって、この体制は自然と従来型の委員会形式に進んでいる。世界の流れの中で、女性とスポーツも間違いなく次の段階を迎えようとしている。しかしながら、「すべての女性が公平にスポーツに関わることのできるスポーツ文化を構築すること」という『ブライトン宣言』の究極の目標が頭に浮かぶと、男性によって築かれたスポーツ文化を基盤に形成されている既存のスポーツ組織体制に組み込まれること自体を社会的な地位を得たと解釈できるのか?という疑問が残る。新たなスポーツ文化の構築のために、まだこのワーキンググループのような体制は、必要なのではないかと感じている。IWGは、2010年にシドニーで開催される「第5回世界女性スポーツ会議」まで活動することを熊本会議で決定した。少なくとも2010年までは、一つのワーキンググループが女性とスポーツの推進活動のために存続することとなった。