第2回 語りだす男性たち――個人的な事例を参考に

 2020年に出版した我々の本『モテないけど生きてます 苦悩する男たちの当事者研究(青弓社)』には、非モテ研用語辞典というページが存在する。これは非モテ研の参加者が、自分達の体験を語り合う中で発見した共通する心理的現象について、みんなで名前を付けたものだ。
 今回はこの非モテ研用語の中から代表的なワードを幾つかピックアップし、紹介をしたい。そして単なる用語の説明だけにならないよう、このコラムの執筆者・足達の経験を一つの事例として交えながら解説を行った。より立体的に、当事者的な立場から非モテ的苦悩に迫れるよう肉付けしたつもりだ。

好きな人を神格視してしまう現象

 【女神】
 女性と関わることが少ない環境・人生の中に突如現れ、声をかけてくれたり優しくしてくれたりする女性を神聖視してそう呼ぶ。
 【女神化】
 一人の女性を女神として位置づけていくこと。これまで女性との交流がほとんどなかった、自己否定的な感覚に陥っている、などの状況で発現しやすい。相手に精神的ケアを過剰に期待してしまう可能性があるので注意。

 『女神化』とは好きな異性のことを神格化してしまうこと。あるいは意中の相手と自分が付き合っている状況を空想し、その『空想上の関係』を完璧だと見なしている状態ともいえる。裏返すと、現在の自分自身は完璧ではなく、未達成な欠陥がある状態であり、そこには渇望があるということでもある。
 女神化は非モテ研が初期に発見した用語で、非モテを自認する男性の心性を読み解く際には特に重要なワードである。新しく非モテ研に参加してくれる人に聞いてみても、「女神化を体験したことがある」と語る人は多い。
 告白しておくと、僕は過去、幾つかの場面で好きになった相手を女神化してきたように思う。女神化が起こったのは、孤立感を覚えている時期だったことが多い印象だ。無職期間中で先行きが見えない時期だったり。職場に馴染めなさを感じている時期だったり。
 ただ、女神化された相手は、神ではなく人なので、そんな人間ひとりが負うには重すぎる期待を求められても困ってしまうだろう。両者による認識のギャップは、後に様々な悲劇を産んでいく運命にある。
 女神化が起こる背景の一つとして、女性ジェンダーとケアのイメージが強く結びついていることが指摘できる。世話すること、共感を示すこと、癒すこと。歴史的に、これらの役割は女性がより担うべきという文化イメージが広く共有されてきた。現代では表向き、必ずしも女性が常にケアを担うべきだとは考えられなくなってきている。が、そのイメージは依然根強く生き残ってもいる。孤立したり、苦悩を感じている状況で、自分を助けてくれる役割を特定の女性へ求めてしまった時、女神化は起こる。
 一方で、恋に落ちた時、相手を神格化してしまうというのは、別に非モテに限らず(男女も問わず)、多かれ少なかれ誰でもそうなんじゃないかという想いもあったりする。文学、映画、ドラマ、マンガ。いつの時代にも、恋愛感情はこの種の陶酔を伴った描かれ方をよくされてきた。それなりに普遍的な感情の持ち方だとも言えるのではないか。

パートナーができたら人生を挽回できると考えてしまう現象

 【一発逆転】
 恋人ができれば現在の不遇な状況が挽回され、幸せになることができると考えること。「新しい世界が広がる」「一人前として扱われる」「確実な関係を結ぶことで不安定な自己像が安定する」など、それを一発逆転と見なす理由は多様である。

 『一発逆転』は、女神化した異性と付き合うことをきっかけに、これまでの冴えない自分の人生が、一気に絶頂的な幸福に転換されることを夢想してしまう現象だと言える。
 もちろんこの一発逆転は、見通しの甘い陳腐な空想に過ぎない。仮に女神と付き合えたからと言って、そこで人生が恋愛映画のように「二人は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」と終わるわけではないのだから。次にはじまるのはひとりで完結する空想ではなく、他者の存在する新たな関係性である。人と人が一緒に居ることで生じる、様々な摩擦や葛藤、軋轢、価値観や生活習慣の違いなど、相手と向き合い、関係性を維持・調整していくことがお互いに求められる。理想化した女神ではなく、1人の個人と対等に向き合わなければならないのだ。
 ところで非モテ自認男性が一発逆転を思い描いてしまうことの背景には、孤独感があるのではないかと思う。
 自分の経験に照らして考えてみると、実は僕は高校時代の3年間、1人も友だちの居ない生活をしていた。学校に行ってから帰ってくるまで、しゃべる相手がおらず、一言も発しないような日がザラにあった。日中ほとんど人と話さないので、「人と会話する」ということが一体どういうことなのか、段々よく分からなくなってくるような感覚があった。「視線はどこに向けたらいいのか」とか、「どういう表情をしたらいいのか」とか、「笑うってどういうことだったっけ?」とか。それまで当たり前にできていたことが、急速に抜け落ちていってしまうような感じと言えばいいだろうか。当然、人とのコミュニケーションへ苦手意識や恐怖感を抱くようになるのだが、「こんなことで将来、僕はどうなってしまうのだろう」「働けるのか?」「ちゃんと生きていけるのだろうか?」といった漠然とした不安が絶えず漂っていた。
 恋愛についても、仲のいい異性なんて1人も居なかったし、「この先僕に彼女ができることはないのかもしれない」と感じていた。ただ一方で、「きっとこの孤独を分かり合える相手が、世界のどこかには居るはず」という願望もあったりした。
 思春期の自分は孤独で、抱えている気持ちを話せたり、共感してくれる人を周囲に一人も見つけられなかった。そんな中で「孤独を分かり合える相手がどこかには居るはず」という空想を抱くことは、最後に残された唯一の救いだった。その相手を見つけることさえできたなら、自分は永遠の孤独から救済されるはずなのだ、と。
 自分を絶対的孤独から救い出し、世界を変えてくれる全能の救世主――それは即ち『女神』と呼ぶべき存在である。孤独感と、一発逆転、そして意中の相手を女神化してしまう事には、密接な関係があるのではないだろうかと個人的に感じる。

『一発逆転現象』を研究している時の、非モテ研の様子
『一発逆転現象』を研究している時の、非モテ研の様子。このように毎回ホワイトボード等を使いながら、それぞれの語りを可視化し、
みんなの内面を掘り下げていく。

片想いを、両想いだと思い込んでしまう現象

 【ロマンススイッチが入る】
 まだ交際関係にない女性とお互いに思い合っていると想定して、強引なアプローチに出ること。その想定は錯覚であることもあり、その場合のアプローチは拙速、もしくは加害的になりがちなので、スイッチが入っているかどうかは意識的になる必要がある。
 人との距離感というものは難しい。可視的に、他者との距離感がはっきりと目に見える訳ではないのだから。故に我々の人間関係は、距離感の誤読に満ちている。
 「あれ。こっちが相手のことを好きなだけではなくて、ひょっとして相手も自分のことを好きなのではないか……!?」などと相手との距離感を誤読してしまった時、ロマンススイッチは入るのだ。
 そして僕自身も、ロマンススイッチの入りやすい体質だったと感じる。僕は「きっとこの孤独を分かり合える相手が世界のどこかには居るはず」という願望を抱き、『女神』を求め、『一発逆転』を空想していたわけなので、それは潜在的に絶えずロマンススイッチをONにしたいという欲望に駆られながら生きていた、という風にも表現できるだろう。
 ロマンススイッチは、人との距離感を狂わせるものである。ではどうしたら、それを上手く測れるようになるのか? 多分近道はない。沢山恥を搔きながら、振り返り、学んで、人との距離の測り方を身に着けて行くしかないのだろう。

最後に:語り合うことと、対等な関係を築くこと

 以上、代表的な非モテ研用語を幾つかピックアップして、執筆者自身の体験も交えつつ紹介してみた。
 これらの用語は、これまで非モテ研へ参加してくれた男性達による語りの蓄積によって産まれ、育まれてきたものだ。非モテ的な苦悩が生じている時、私たちの中では一体何が起きているのか? みんなの経験と苦悩を持ち寄り、言葉を当てはめながら、それぞれの内的な現象を検証・解明してきた。
 言葉によって、他者と自身の経験を語り合うことは楽しい。それぞれの発言に共感したり、共感されたりしながら、「この悩みに苦しんでいたのは自分だけでは無かったんだ」という感覚が得られて、孤独感がちょっぴり癒されるという効能がある。
 そしてもう一つ、語り合いの場には『感情を自分自身で扱う力』の成長を支える意味合いもある。参加者それぞれの無意識下にある、今まで言葉にされてこなかった感情が、他者との語り合いを通し発掘され、言葉にされ、意識されるようになる。
 一般的に、男性は自分の感情を表現することが苦手だと言われる。連載第1回でも少し触れたが、男性ジェンダーは、個人を競争主義的なコミュニケーションや価値観に曝すため、特に弱い感情や、精神的な脆さを表現することを阻む。表現されない感情は、無意識の領域に押し込められ、やがてはその感情を認識すること自体が難しくなってしまう。
 女神化、一発逆転、ロマンススイッチ。失敗を犯した時、同じ過ちを繰り返さないために、我々はその行動の背後にあった要因(=感情)を無意識から引っ張り上げ、自分自身が向き合うべき課題として担わなければならない。
 自分の感情を認識し、行動に責任を持つことは、お互いを尊重し、他者と対等なパートナーシップを築くためには絶対に欠かせないプロセスだろう。相手と何か軋轢が生じた時、その背景にある感情を認識しておらず、相手への説明も難しければ、その軋轢が解決に導かれることはない。
 僕自身も非モテ研での語り合いを積み重ねて、自分のこと、そして人と関係することについて沢山の学びを得てきた。結果、別にモテモテにはならなかったが、人生を少し生きやすくなったようには感じている。
 単に非モテ話をして共感し合うだけでなく、主催者も含め、参加者それぞれの『感情を扱う力』の成長を支える場として、今後も非モテ研を大事にしていきたい。