第1回 「非モテ研」ってなに?

1.はじめに

 2017年12月24日。
 クリスマスイブ。
 大阪にて。
 男たちが集まり、それぞれの「モテない苦悩」を語り合う、奇妙な活動が始まった――

 『ぼくらの非モテ研究会(通称:非モテ研)』は「非モテ意識はなぜ生まれるのか」「どうしたら非モテの苦しさから抜け出すことができるのか」を追求する、男性たちの語り合いグループである。
『非モテ』という言葉を厳密に定義し切ることは難しい。ここでは恋愛経験が少なかったり、異性との交際やアプローチが上手くいかなかったりして、苦しさを覚えるような状態を指している。
 「非モテ男性のための語り合いのグループ」と言うと、何やら自己啓発めいた怪しさが付き纏うように感じるかもしれない。が、別にモテるためのテクニックを学ぶための場ではない。どちらかと言えば、非モテ意識に悩む男性が、当事者同士による語り合いを通し、その苦しみの背後に潜む構造や仕組みを言語化しながら、無意識に内面化しているジェンダー規範を相対化したり、そこから抜け出す方法を探るための場である。
 非モテ研への参加は、非モテ意識を持つ男性自認の人であれば、基本的に誰でも参加することが出来る。毎回、SNS等を使い広報を行う。参加者の年齢層は、20代から50代と幅広い。参加者の人数は、その時々によってまちまちだが、少なければ2~3人、多い時だと10人を超えることもある。

2.最近の非モテ研

 非モテ研が設立されてから、去年(2026年)の12月でとうとう活動10年目に突入した。
 僕は非モテ研の最初期、参加者として活動へ関わったのだが、気が付けばコアメンバーの一人として、会を運営する立場になっていた。
 10年もやっていれば、書き連ねるべき歴史が自ずと生成されていくものだ。これまで会には様々な人の参加があり、様々な『非モテ的苦悩』が言葉として語られ、そして様々な研究成果が生まれた。2020年には我々の研究成果を本にまとめた『モテないけど生きてます 苦悩する男たちの当事者研究(青弓社)』が刊行された。また、当時大学院生だった非モテ研の仕掛け人・西井開さんは、臨床社会学、男性ジェンダー、マジョリティ研究の専門家として複数の単著を出版し、現在は立教大学社会デザイン研究科の特任准教授としてご活躍されている。
 一方で、元々は月1、2回程度開催されていた非モテ研は、現在は年に数回しか開催されなくなってしまった。コアメンバーである我々も歳を取った。このコラムを執筆している足達は現在37歳。目の前の生活、仕事のこと、お金のこと、将来のこと、生き方のことなど。非モテのことだけを考えていられない年齢である。他のコアメンバーそれぞれにもやるべきことや人生があり、活動の頻度はここ数年、めっきり減少傾向である。
 そんな中、昨年の12月に、本家非モテ研から暖簾を分けてもらい、僕は新しく『ぼくらの非モテ研究会・名古屋』を立ち上げた。仕事の都合で長年住んだ関西圏を離れ、東海へ移住したことが発足のきっかけだ。今後、月一回程度の活動を行っていきたいと考えている。
 このコラムでは、そんな僕の視点から、これまでの非モテ研の活動を振り返りつつ、「非モテ意識」や「恋愛観・結婚観」の背後に見え隠れする男性ジェンダーの課題について触れていきたい。

3. 男性の『非モテ的苦悩』

 ところで最近は殆ど活動できていない本家非モテ研なのだが、それでも時折「次回の開催はいつでしょうか?」という問い合わせのメールが来たりする。非モテ研・名古屋の方では、今年1月、発足後二回目の集会を行ったが、参加者は定員7名で満席になった。10年たっても変わらず、非モテ問題には一定の社会的ニーズがあるのだと感じる。
 そもそも参加者は何を求めて非モテ研に通うのだろうか?
 その背景には、男性の『非モテ的苦悩』と呼ぶべきものがあると思う。ただ非モテ的苦悩は、人それぞれに固有のライフストーリーに加え、ジェンダーの問題、社会構造などが複雑に絡み合って形成されており、一概に語ってしまうことは難しい。ここでは幾つか典型的なものを紹介してみる。

4. 非モテ的苦悩の例

 例えばよく指摘されることとして、「恋愛や性経験を通過してこそ、男は一人前だ」と見なされがちな社会通念がある。恋愛経験、性経験を経ていない男性は劣った存在だ、というようなものの見方だ。その背景には素朴で強固な異性愛中心主義や、結婚への規範意識があるように思う。恋人の居たことがない男性や、性経験に乏しい男性は、内面化されたこれらの社会通念によって、自分を『恋愛できない/結婚できない、他の多くの男性よりも劣った存在』として感じるようになる。
 男性ジェンダー的な競争主義の影響もある。男性はしばし、他の男性を競争相手として見なす傾向があり、常にある種の『勝ち/負け』に意識を向けさせられている。故にそのコミュニケーションは、相手への優位性を示すため、見下したり、いじったり、からかったりする形態を取りがちだ。そして恋愛や性経験の乏しさは、このようないじり、からかいの対象とされやすい属性の一つである。男性間の競争的なコミュニケーションの中で、敗北感を植え付けられた非モテ男性は傷つき、孤立感・劣等感を強めていく。

5. 男性集団内の周縁化作用

 西井さんは2021年の単著『「非モテ」からはじめる男性学(集英社新書)』の中で、『男性集団内の周縁化作用』という言葉によって、非モテ的苦悩に迫っている。
 「「非モテ」男性の苦悩とは単純に「モテない」ということに集約されない。(中略)その中で最も重視したいのが、からかいや緩い排除という手段によって「非モテ」男性が追い込まれていく男性集団内の力学である。何度も言うように、この力学は男性側の権力関係によって成り立っている。また、からかいや緩い排除を受けた「非モテ」男性も、男性集団内の権力性と競争を背景に自身にレッテルを付与し、自己否定に至る。周囲と自己によって、「非モテ」男性は周縁へと追いやられていく/追いやっていくのである。この一連の過程を「男性集団内の周縁化作用」と名付けたい」

 男性的な権力関係の中で、からかいや緩い排除を受けた男性は、自己否定的な思考に絡めとられ、周縁化され、孤立していく。同書の中で西井さんは、そのような過程を経て孤立した男性が、一種の救済として特定の異性を恋愛対象と見なしてしまい、結果その相手に固執し、段々加害的な側面を帯びていってしまう様相を描き出している。
 このように非モテ的苦悩の背景には、男性ジェンダーの課題(男性的な権力関係と、競争主義的な側面)があり、また素朴で強固な異性愛中心主義や、結婚への規範意識が見え隠れする。一方で個人が「気の合う相手と、対等にパートナーシップを結びたい」と思うこと自体は、別に否定されるべきものでもないだろう。

6. 参加者は何を期待して非モテ研に来るのか?

 前述したとおり、非モテ研は「非モテ男性のための語り合いのグループ」であり、モテるためのテクニックを学ぶための場ではない。参加者のみんなは、何を期待してそんな会に参加しているのだろう?
 自身の非モテ性にまつわるエピソードを語ることは、自分の弱さを他者に差し出すことに他ならない。競争主義的な男性同士のコミュニケーションの中で自分の弱さを曝すことは、つけこまれる隙を与えるということである。それをネタに、いじられたり、からかわれたりするかもしれない。故に男性同士で自身の非モテ性を語ることは、一般的にはリスクの高い行為であると言える。
 だが非モテ研は、あえてその弱さを人に差し出すための場である。
 我々はなんでそんなことをわざわざしているのか?
 僕の感じていることを、言葉で表現するならこうだ。「普段は人前で隠さなくてはいけないことだからこそ、逆説的に、そこから降りて人と話ができるという安心感が、ある種人を癒すような、倒錯した側面がある」。
 非モテ研で一人一人が語る苦悩には、『周縁化作用』という一言では見えてこない、その人らしいユニークな『人生の苦悩』が立ち現れる。苦悩には個別性があり、苦悩の前に我々一人一人は孤独だ。別に相手の苦悩の全てを理解できるわけではない。同じ当事者だからと言って、共感できることもあれば、共感できないこともある。でもその苦悩について共に語り合える他者が居る時に限って、その孤独は少し薄められる。そんな面白さが、非モテ研という語り合いの場にはあるのだ。
 というわけで次回は、実際に非モテ研では参加者のどんな語りがあるのか、少し覗いてみたいと思う。