第1回 多様な性、知っていますか? 「性的マイノリティ」をとおして考える、生き方のヒント

1.「性的マイノリティ」「LGBT」って何?

 最近では、テレビなどのメディアで「性的マイノリティ」「LGBT」などの言葉を聞くことが増えてきました。しかし、まだまだ「よく知らない」という人も多いのではないかと思います。
 性的マイノリティとはレズビアン(女性の同性愛者)、ゲイ(男性の同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心の性別と体の性別が違う人、性別に違和感をもつ人)などの方々の総称として使われています。LGBTというのは先述の言葉の頭文字をとった言葉で、性的マイノリティと同じ意味合いで使用されることが多いです。
 ここで注意していただきたいのは「性的マイノリティ」=「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー」だけというわけではないという点です。性は多様で「〇〇種類ある」というようにはっきりと決めることはできません。例えば、恋愛対象として好きになる人の性がないという人や、自分の性別を決めていない、または男女どちらでもあると感じている人、自分の性を決められない、または迷っている人など、数えきれないほどの形があります。そのため、一つひとつの性のあり方(セクシュアリティ)を知識として知ることももちろん大切ですが、それ以上に性は多様であり、みんな違って当たり前だという意識を持つこと、ひいては自分自身も多様な性のうちの一つである、ということに気づくことが本当の意味で多様な性への理解へとつながります。
 今はまだ性的マイノリティを身近な存在として感じている人は、あまり多くはないかもしれません。けれども、人の性のあり方というのは目に見えるものではなく、「見えない」から「いない」と思い込んでいるだけで、性的マイノリティは学校、職場、地域などどのような場所でも、一緒に生活をしています。電通ダイバーシティ・ラボが2015年に行った調査によると性的マイノリティの割合は7.6%という結果もでており、決してどこか遠くの世界の話、というわけではないのです。

2.知らないことによる困難

 「性的マイノリティなんて周りにはいない」と誤った思い込みを持つ人が多く、この現状が、当事者の方にとって様々な困難につながります。例えば同性愛者が周囲から「彼氏/彼女がいるのか?」「結婚はまだか?」などと尋ねられたり、トランスジェンダーの方が多目的トイレなどがなく、男女別のトイレを使用することに抵抗を感じていたり、また、周囲で「おかま」「ホモ」「レズ」といった差別用語が当たり前のように使われていたりすること、などが挙げられます。
 こういった背景には性的マイノリティについて知識を得る機会が少ないことが影響しています。特に結婚について安易に尋ねたり、彼氏/彼女の有無を尋ねたりすることは、人によっては日常会話の中で悪気なく行っていることも多いです。つまり、それが差別にあたり、当事者を傷つける場合があるということを知らないのです。
 さらに、日本社会の風潮として、異性間カップルを前提としていること、そして結婚することがあたり前と考えられています。そのため、同性間カップルもいるという視点がこぼれ落ちています。
 また、異性愛者でも独身で暮らす人たちが揶揄されるなど、「これが普通」という固定的な考えが根強いこともあります。そこで、性的マイノリティに限らず、様々な背景を持つ人たちが一緒に暮らしていることを念頭に入れた社会づくりが求められます。

3.変わりつつある若者の意識

 フレンテみえでは平成28・29年度にかけて、高校生に向けて「多様な性と生活についてのアンケート調査」を行いました。その結果からわかったことは、今の高校生たちが多様な性のあり方について、大人が思っている以上に柔軟に捉えているということです。
生徒たちの自由記述には、多様な性に対して理解を示している記述や、差別がまかり通ってしまう現状に対して問題意識を持っている記述などが多数ありました。
 これからの社会を作っていく若者がそのような意識を持っていることは、とても頼もしいと感じます。しかし、今のままでは理解のある高校生たちが社会に出て活躍する時に、自分自身の多様な性に対する意識と社会全体が持つ多様な性に対する意識との差によるギャップで、生きづらさや困難を抱える可能性があるということも予想されます。そうならないために、まずは大人たちが多様な性の理解を深めることができるか、ということがカギとなります。

4.みんなが生きやすい世の中へ

 ここまで、概要と抱えがちな困難などをお伝えしましたが、皆さんは性的マイノリティについてどのようなイメージを思い浮かべていますか?
 人それぞれ思い浮かべるものは違うと思います。そして、性的マイノリティすべての人がそのイメージ通りというわけではありません。それなのに自分の持つイメージを相手に押しつけてしまうと、それは生きづらさへとつながります。これは性的マイノリティに限った話ではありません。「女性だから」「男性だから」「母親だから」「父親だから」など、世の中には役割が付随してしまっている言葉がたくさんあります。本来、人はみんなそれぞれ違ってあたり前なのに、このような言葉を使うと、とたんにカテゴリーで分けられ、その中で同一視されてしまう傾向があります。
 このような思い込みは一種の「呪い」のようなもので、私たちに「~すべき」「~でなくてはいけない」といった制約を与えます。この「呪い」をはねのけ、誰もが自分らしく生きること、それこそがみんなが生きやすい世の中へとつながります。