劇評家・安住恭子さんに三重県文化会館で観劇した芝居のレビューを寄稿いただくコーナーです。
安住恭子プロフィール
演劇評論家。元読売新聞記者。現在は、中日新聞などに演劇評論を執筆。また、シアターコクーンで上演した『RASHOMON』(野村萬斎演出・主演)の脚本を担当したほか、『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』(天野天街作・演出)など、プロデュースも多数。著書に、『青空と迷宮――戯曲の中の北村想』、『「草枕」の那美と辛亥革命』など。同書で「和辻哲郎文化賞」受賞。名古屋市芸術奨励賞受賞。
劇団唐組「鉛の兵隊」(2026年5月2日~3日)
ネタバレを含みます。東京、長野公演をご観劇予定の方は、ご了承のうえお読みください。
撮影:松原豊5月2日午後9時半すぎ、三重県総合文化センター・祝祭広場で、久しぶりの唐組芝居『鉛の兵隊』(唐十郎作、久保井研+唐十郎演出)を見終わった私は、いささか興奮していた。懐かしい紅テントをはじめ、かつて唐さんが健在だったころの舞台と寸分たがわない世界が、そこにあったからだ。同じ作品をやっているのだから当然だ、と思うかもしれない。だが、唐作品はそう簡単にはいかない。何しろ、セリフと役者の身体から発せられる熱量が半端ではない。主宰者であり、作・演出・主演俳優である唐十郎が率先して担い、劇団員も同じ熱量で演じることで観客を翻弄し、一種の異世界に連れ去る、尋常ではない観劇体験をさせてきたのだ。それは他の観劇体験とは、まったく違うものだった。そして唐さん亡き後の今回も、まったく同じ体験をさせてくれた。そのことに驚いた。
だからこそ、これまでのように「あー、面白かった!」で終わるのではなく、それはどのような仕組みで生み出されるのかを、改めて考えたいと思った。その前に、唐十郎とは何者だったのかに、触れたいと思う。唐十郎は、寺山修司とともに、戦後日本の現代劇を生み出した立役者である。明治以来日本では、現代劇といえば「新劇」という認識だった。それは、西欧の近代化とともに生み出された、個人主義に根差す人間観を基調とする演劇であり、日本ではそれに加えて、歌舞伎という「旧劇」に対する新しい劇という意味も持ち合わせた。個人主義としては、それを阻害する政治に対して反抗するものになり、戦前はまさに身をもって戦う演劇だった。しかし戦後の60年代にもなると、それらは一種の収まりかえった容器のようにもなっていた。「新劇はせっせと啓蒙活動をやっていて、創造のエネルギーとは無縁だ」と寺山は批判した。
そして、「自分たちの身の丈にあった、自分たち自身から生まれる演劇を」という欲求が、当然ながら生まれてきた。そのことにいち早く気づき、動き始めたのが唐であり、寺山だった。二人はすでに62年に出会っていた。寺山は唐の俳優としての資質に注目し、自身の脚本によるテレビドラマに唐を推薦するなど、交流が始まった。そして、「街頭へ!」という方向性を、寺山が示す。「とにかく街のどこででも演劇をやるべきだ」。そうした交流の中で、唐が状況劇場を旗揚げした64年の公演パンフレットに、寺山はその後の唐の活動やテント公演を予測するような文章を書いたという。寺山自身はその後病に倒れ、4年間入院を余儀なくされたが、唐は65年には西銀座数寄屋橋で、『街頭劇 ミシンとこうもり傘の離別』を上演。67年にはついに、新宿花園神社境内に紅テントを張り、『腰巻お仙』を上演するのだ。これもまた「サーカスのようにあちらこちらで芝居を」という寺山の言葉から、唐にひらめいたアイデアだった。
そして、現代劇をテントで上演するというこのスタイルが、若者たちを魅了した。「劇場でなくてもいいんだ!」。さらにそのスタイルだけでなく、先に述べたように、そこでは速射砲のようにセリフを吐き、流行歌など親しみやすい音楽と、目まぐるしく照明が炸裂する、熱気と詩情あふれる唐演劇が上演されていた。見るものを奮い立たせる演劇がそこにはあった。それは単なる情熱からだけ生まれたのではない。熱気は、唐十郎が見出した、「肉内にこそ観念が宿る」という<特権的肉体論>の考えを具体化する作業とともにあった。演じる肉体こそが演劇の柱であるという主張だ。おそらくそれは、歌舞伎の中にあったものの再発見だ。見えを切る身体が生み出すセリフの力強さと象徴性である。そしてそれは見るものの心を躍らせ、「面白い!」と興奮させた。名古屋の大学の友人たちと芝居を創り始めていた北村想も、夜行列車に乗って何度も見に行ったという。
面白さは伝播する。テントを張らないまでも、喫茶店や屋上などさまざまな場所で創意工夫をこらし、奮い立った若者たちが自分の演劇を創り始めた。それも既成の戯曲ではなく、自分たち自身で脚本を書き、演出して独自の作品を創るのだ。こうして70年代から80年代にかけての日本では、各地で若者のオリジナル作品の上演があふれた。唐世代の<アングラ演劇>、そしてそれに続く若い世代の<小劇場演劇>と呼ばれた演劇ブームである。最近でいえば、若者が我も我もとアニメに走った状況と似ている。この時、若者の表現に対する欲求が、演劇に集中したのだ。その状況は世界的に見ても、珍しいことだったのではないか。それは寺山が指針を出し、唐が具現化した結果だった。二人が戦後日本の現代演劇を生み出した立役者であると述べたのは、こうしたことである。
とはいえ、そのブームが起こったのは、唐がまいた種が実に魅力的だったからだ。そのことを、『鉛と兵隊』を通して具体的に見ていきたい。主人公は、北海道の旭川近辺の町で育った、二風谷ケンと月寒七々雄。二人は小学生のころ、戦前の旭川第七師団の亡霊を見、憧れを抱いた体験を持つ。七々雄はそのため自衛隊に入り、海外に赴任している。一方ケンは、小さなスタントマン事務所に所属し、時折七々雄と夢の中で交流している。七々雄の姉冴は、そのケンに、いつか七々雄の身代わりになって欲しいと頼み、彼はそれも引き受けていた。つまりケンは、仕事としてのスタントマンであると同時に、七々雄のスタントマンでもあるのだ。そのことが物語の中心だが、舞台は、その中心の話題が時にはかすむほど、事務所に所属するさまざまなスタントマンのエピソードなどが、猥雑ににぎやかに展開する。
このごった煮といえるほどのにぎやかさが、唐芝居の第一の特徴なのだが、実はその中に唐ならではの法則がある。唐は肉体だけを優先したのではなく、実は言葉の人でもあった。そのあふれ出る言葉に、冷静な法則性を持たせたことによって、見るものに観念が伝わったのだ。それは常に対称的な二つの視点で描いていくということだ。その一つは、セリフにおける詩情と俗情の往復だ。例えば、戦場で愛用していたアルミのコップについての、七々雄のこんなせりふがある。コップには凹みがあり、それがハート型になっているらしい。その凹みについて語るのだが。
「外にころがしとくと、夜露がたまる。ハート型の。……そのハート型の小さなみずたまりが、魔王の涙に思えた。魔王でもこうして泣くのかと、僕はチュウチュウすすったぜ」。アルミコップの凹みにたまった水という、ささやかな一種のわびしい姿を、<魔王の涙>という美しい幻想的詩情に反転させる。そしてそれを「チュウチュウすすったぜ」という、俗っぽい姿にさらに反転するのだ。こういうマジカルなセリフが頻繁に出てきて、観客を翻弄する。
二つ目には、巨大なものと微細なもの、あるいは価値あるものとのつまらないもの往復がある。魔王と涙もその例の一つだが、この作品での最大のふり幅の対比は戦争と指紋だ。実は七々雄には指紋がない。それは、戦地でのある満月の夜、ドラム缶の上にたまった水にその満月が映り、ゆらゆらと揺れていた。その美しさに七々雄は、思わずその水面の月を摘まもうと指を入れる。ところがその液体は水ではなく、硫黄とバリウムの溶けたものだった。それによって指紋が失われたのだ。ここでも幻想的な美しさが、苛酷な現実へと反転するのだが、そのことによって微細なことから戦争という巨大なものを照らし出すのだ。一方、銀と鉛や、スイートピーとねこじゃらしなどの、価値あるものとないものの対比も何度も繰り返し、絶えず観客を揺さぶり続ける。
さらに、亡くなった一人の女性に対し自分を贈り物にしたいと、塩に漬かり続けて<塩じゃけ>になろうとする男や、ロープを口にくわえてその塩の箱を引く男、指紋を商売にする女など、奇想天外なキャラクターも登場し、にぎやかににぎやかに舞台は進んでいく。そしてその中で一つのテーマが通奏低音のように語られていく。それは、七々雄が指紋を失ったことが示す、<戦争と個人>の問題だ。もっといえば、戦争がいかに個人をないがしろにするか、である。子供のころケンと七々雄が出会った旭川第七師団の亡霊は、命令によって南に行軍したかと思えば、また命令によって北へ行軍するなど、戦闘行為に参加することなくただ歩き続け、その北への行軍が死の行軍になったという無意味さだ。だからこそ今なおさまよい続けている。そして、その役に立たない兵士のことを、アンデルセンの童話なども引用しながら、<鉛の兵隊>と唐は呼ぶ。そして、その役に立たない鉛の兵隊にケンが進んでなろうとするというというシーンに、個人と戦争に対する唐の静かなメッセージがある。
ケンのこの意志は、自分はどこまでも七々雄のスタントであり続けようとするところからきている。戦争など知ったことではない。自分はあくまでも七々雄の身代わりになるのだ。彼の指紋が失われたならば、当然「僕は七雄の指紋のスタントになる!」と叫ぶのだ。そして最終的にはケンも事故で指紋を失う。スタント=身代わりは、この時完了する。そこから浮かび上がるのは、義務や仕事では片付けられない、とてつもない友愛である。それはリアルな人間関係を超えている。このリアリズムを超えた友愛こそが、唐ならではのロマンだろう。さまざまな仕掛けを駆使し、翻弄し心を浮き立たせ続けて、唐は観客をこのロマンの世界に導くのだ。笑い、ワクワクしながら見てきた観客は、最後の最後にこのロマンで満たされるのである。この体感があったからこそ、私も満たされ、そのなつかしさに興奮したのだった。長年唐の演出助手を務めた久保井研が、唐世界をしっかりよみがえらせたことが大きいと思う。