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早わかりコラム「歌舞伎十八番と勧進帳」


歌舞伎十八番

得意なことをよく「十八番(おはこ)」と言いますよね。この言葉の由来とされるのが歌舞伎十八番。本来は「じゅうはちばん」と読みます。江戸歌舞伎の代表的な家系「成田屋」の初代〜 4代目市川團十郎が得意としたお家芸18作品をまとめたもので、7代目市川團十郎によって1832年(天保3年)に定められました。代々の團十郎が荒事を得意としていたことから、歌舞伎十八番も豪快でおおらかな演技が魅力の役が登場します。今回のレクチャーで解説していただく『勧進帳』では、武蔵坊弁慶がそれにあたります。

歌舞伎十八番の演目

@暫(しばらく)     A矢の根(やのね) B鎌髭(かまひげ)    
C勧進帳(かんじんちょう)D不動(ふどう)  E七つ面(ななつめん)  
F鳴神(なるかみ)    G助六(すけろく)   H蛇柳(じゃやなぎ) 
I象引(ぞうひき)    J押戻(おしもどし)K解脱(げだつ)
L毛抜(けぬき)     M景清(かげきよ) N嫐(うわなり) 
O関羽(かんう)     P不破(ふわ)   Q外郎売(ういろううり)

勧進帳

歴史上の悲劇のヒーロー源義経と彼の忠臣・武蔵坊弁慶の関所越えの逃亡劇を題材にした忠義のドラマ。能の『安宅』を原作とした松羽目物(下手に五色の揚幕、上手に能舞台に見られる臆病口、後ろに大きな松の絵が描 かれた舞台セットを使用した作品)です。弁慶による勧進帳の「読み上げ」、 富樫と弁慶、義経3人による「天地人の見得」、富樫と弁慶との緊張感溢れる「山伏問答」、足を踏みならしながら花道を引っ込む弁慶の「飛び六法」など、長唄の名曲に合わせて運命のドラマが展開します。解説は古典芸能のスペシャリスト・三重大学の田中綾乃先生と、歌舞伎の補綴も手掛ける木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さん。『勧進帳』は木ノ下歌舞伎でも上演歴があり、「関所を越える」=「あらゆる境界を超える」という視点で、弁慶を外国人俳優が、義経を女性が演じるなど大胆な演出と解釈で観客の度肝を抜きました。そんな思い入れたっぷりの作品をお二人で語り尽くしていただきます。

 

おしゃべり古典サロンvol.7

テーマ 「勧進帳(かんじんちょう)」
講師 木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)
   田中綾乃さん(三重大学人文学部准教授)
日程 2020年8月14日(土)14時00分〜16時00分
会場 三重県文化会館 小ホール
料金 1,000円

イベント詳細はコチラ

早わかりコラム「人形浄瑠璃と歌舞伎」

8月1日開催のおしゃべり古典サロン。夏芝居の代名詞「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を題材に、人形浄瑠璃と歌舞伎を見比べながら双方の魅力を再発見します。今回はサロンに先立ち、まずは人形浄瑠璃と歌舞伎とはなんぞや?というサクッと解説をお届け!

【人形浄瑠璃】

物語を語る「太夫」、情景を音で表現する「三味線」、一体の人形を三人で遣う「人形」―この「三業」が一つとなった人形浄瑠璃。ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、日本を代表する古典芸能です。1684年、義太夫節の始祖である竹本義太夫が大坂・道頓堀に竹本座を創設し、作者に近松門左衛門を迎えることで、人形浄瑠璃は大流行します。その後、豊竹座をはじめとした小屋が次々と生まれますが、歌舞伎人気におされて次第に衰退。しかし時は幕末、淡路の植村文楽軒の一座によって息を吹き返し、今日では「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となっています。

◆近松亡き後を盛り上げた三人の作者
天才・近松門左衛門亡き後の竹本座を盛り上げたのが、今作『夏祭浪花鑑』の作者である並木千柳、三好松洛、竹田小出雲です。中でも並木千柳は、もとは竹本座のライバル豊竹座の立作者をつとめ、その後、歌舞伎作者に転身。今度は竹本座に移籍し、『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』の三大名作を生み出します。そんな千柳を、竹本座の古株・三好松洛、座本の竹田小出雲が支えました。

◆希代の人形遣い・吉田文三郎
三人の作者と併せて覚えておきたいのが、人形遣い・吉田文三郎。それまでは専門に分かれていた立役・女形を両方演じることのできる古今きっての名手で、三人遣いの人形操法も彼の功績です。一方で、演出に注文をつけ太夫が退座する事件(1748年『仮名手本忠臣蔵』初演時)を起こしたり、自ら独立を企てるなどの野心家でもありました。なお、1745年『夏祭浪花鑑』初演時の本水・本泥を使った演出も文三郎の発案とされています。


【歌舞伎】

1598年、出雲の阿国という女性が、奇抜なファッションや行動で「傾き者」と呼ばれた人々の扮装をし、京都で「かぶき踊り」を始めたのがルーツと言われています。その人気ぶりから、遊女ら女性たちの「女歌舞伎」や、元服前の少年たちの「若衆歌舞伎」が生まれますが、風紀を乱すと幕府が禁止。そこで登場したのが、現在の形にも通じる成人男性中心の「野郎歌舞伎」でした。歌舞伎は、その成り立ちから、逆境の中で世間の常識を打ち破り、常に最先端の流行を取り入れる反骨精神溢れる芸能だったのです。

◆上方の和事と江戸の荒事
京都・大坂から江戸へと広まった歌舞伎ですが、町の気質とも相まって上方と江戸でその作風も違っていました。上方では、優男による色恋沙汰を柔らかく情感豊かに演じてみせる「和事」が人気を博し、坂田藤十郎が活躍。江戸では、市川團十郎を創始者として、勇壮な豪傑たちによるいわゆるヒーローものの「荒事」が好まれました。

◆人気となった団七もの
1698年初演、大坂で三人の侠客が活躍する歌舞伎『宿無団七』が大当たりしたことから派生作品が多数作られ、今作『夏祭浪花鑑』もその系譜を受け継いでいます。まずは人形浄瑠璃で上演され、翌月には歌舞伎化。更に、今度は『夏祭浪花鑑』に影響を受けた並木正三が歌舞伎『宿無団七時雨傘』を執筆しました。なお並木は、廻り舞台を考案した江戸中期を代表する歌舞伎作者でありながら、一時は並木千柳の師弟として人形浄瑠璃の作者も務めていました。こうして、人形浄瑠璃と歌舞伎は時に同じ演目を上演し、あるいは改良を加え、互いに切磋琢磨してきたのです。

おしゃべり古典サロンvol.5

テーマ 「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」
講師 木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)
   田中綾乃さん(三重大学人文学部准教授)
日程 2020年8月1日(土)14時00分〜16時00分
会場 フレンテみえ 多目的ホール
料金 1,000円

イベント詳細はコチラ

夏の風物詩「四谷怪談」をめぐる江戸の小旅行

日本一有名な幽霊といえば、鶴屋南北作「東海道四谷怪談」の”お岩さん”ではないでしょうか。物語は、赤穂浪士の討入劇「忠臣蔵」と同じ時代。塩治家取り潰しにより浪人生活を送っている民谷伊右衛門。己の色欲ゆえに敵方の高野家と組んで、妻のお岩を騙し毒薬を盛ります。髪は抜け落ち、醜い姿になってしまうお岩。裏切りの真実を知り、非業の死を遂げたとき、世にも恐ろしい復讐劇が始まります……。  
今回はその舞台となった四谷、そして”お岩さん”にゆかりのある地を巡りました。

「四谷怪談」誕生秘話

実はお岩さんにはモデルとなった人物がいたことをご存知ですか。江戸四谷左門町に住むお岩は、伊右衛門とは人も羨むおしどり夫婦。奉公に出て家計を支えながら、日頃から民谷家の庭にある社を信仰していたところ田宮家は栄えた、とされています。そこで社の隣に祠をつくり、やがて「於岩稲荷」として信仰されるようになったとのこと。怨霊という設定は、後から創作されたものだったのですね。また、「四谷怪談」で釣りをしていた伊右衛門のもとに1枚の戸板が流れ着き、そこには自分が殺した小仏小平が括り付けられていて戸板がひっくり返るとお岩が……という「戸板返し」のシーンにも、モデルとなる事件が。「身分違いの恋をした旗本の妾と奉公人の下男が一枚の戸板の表裏に釘付けにされて神田川に流された」、「隠亡堀に男女の死体が流れ着き、それを鰻かきが引き上げた」、「直助と権兵衛という2人の主人殺し」など、当時江戸を騒がせた様々な事件をもとに、「東海道四谷怪談」が生まれました。南北も参考にしたといわれる実録体小説「四谷雑談集」では、疱瘡を患い性格にも難のあったお岩のもとに、跡取りのために美男の伊右衛門を婿入りさせますが、伊右衛門に虐待のうえ家を乗っ取られ、お岩の祟りで一家が断絶するというエピソードも。於岩稲荷に祀られているお岩さんとはずいぶんイメージがかけ離れていますね。では、民谷伊右衛門はどうでしょう。「首が飛んでも動いてみせるわ」という歌舞伎の幕切れセリフにも象徴される民谷伊右衛門の希代の悪人像は、南北の作品の中でも「謎帯一寸徳兵衛」で平然と人殺しを行う大島団七にも見られ、その集大成ともいえます。いつの時代も、人は心のどこかで悪の美学に魅せれられてしまうものなのでしょうか。

四谷の「於岩稲荷田宮神社」。


於岩稲荷と歌舞伎役者の成功祈願

今回向かったのは、四谷の住宅街にある「於岩稲荷陽運寺」と「於岩稲荷田宮神社」。お岩さんを祀るお寺と神社が向かい合って建っています。当時、歌舞伎「東海道四谷怪談」は大変な成功をおさめ、三代目尾上菊五郎のお岩、七代目市川團十郎の伊右衛門は当たり役となりました。当初は出演した役者が参詣していたのが、お参りしないと事故が起きるなど祟りの噂にまで発展し、そこから歌舞伎俳優が興行前に必ずお参りに行くようになったそう。現在は、怨霊としてのではなく、商売繁盛、芸能上達、陽運寺のほうは縁結びのお寺としても知られています。また、「於岩稲荷田宮神社」は明治12年の火事で社殿が焼失した(現在は復活)のをきっかけに、隅田川の畔にある民谷家の敷地内(現在の越前堀)にも同じ名前の神社が建てられました(昭和20年の戦災で社殿が焼失するも現在は復活)。こちらは高層ビルの開発が進む中、その一角に緑に覆われひっそりと佇んでいます。

越前堀の「於岩稲荷田宮神社」。境内には四代目市川右団次が奉納した百度石があります。

江戸の光と闇

初演当時、「東海道四谷怪談」は「仮名手本忠臣蔵」と交互に上演する形式が注目を集めました。この2作は同じ時代を背景に、討ち入りを巡る忠義の物語と、その裏側の物語を描いています。「四谷怪談」が描かれたのは「忠臣蔵」から77年後。その頃の江戸は武士の権威が衰退し、浪人たちは日々の暮らしに困窮する始末。塩治浪人の民谷家も例外ではなく、お岩の父・四谷左門は乞食同然の生活をしながらも、塩治のお金を横領した伊右衛門の支援を受けようとはせず正義を貫きます。そんな中、左門を殺して、父の敵討ちを口実にお岩を騙して復縁、挙句の果てには彼女を捨てて、その後も次々と悪事を重ねる伊右衛門。「タテマエ」だけではない「ホンネ」の世界。「四谷怪談」はまさにそんな市井の人々の欲、愛憎が炙り出された作品なのです。

四谷の陽運寺。今は悪縁を切り良縁を結ぶ神様として人気があります。

まるで当時にタイムスリップしたかのような旅。怪談話の裏にある、幽霊よりも怖い人の世の物語。9月22日は、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さん、三重大学人文学部の田中綾乃先生と共に、その奥深い世界に浸かってみませんか。

参考文献:『鶴屋南北』諏訪春雄著(ミネルヴァ書房)
     『お岩と伊右衛門 「四谷怪談」の深層』高田衛(洋泉社)

おしゃべり古典サロン

vol.3テーマ 『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』 
講師     木ノ下 裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
       田中綾乃(三重大学准教授)
日時         
2019年9月22日(日曜日) 14時00分〜16時00分
会場     
三重県文化会館 小ホール
受講料    1000円

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わたしたちが次の世代に残せるもの ― 第七劇場設立20周年を飾る最新作「ワーニャ伯父さん」

1999年、早稲田大学在学中に演出家の鳴海康平さんによって結成、2014年に東京から三重県津市美里町へ拠点を移し活動する劇団「第七劇場」が、今年設立 20 周年を迎えます。節目となる2019年は、静岡県舞台芸術センター(SPAC)の俳優をはじめ、東海地域に縁のあるゲストメンバーとともに、ロシアの文豪アントン・チェーホフの名作「ワーニャ伯父さん」の三重・韓国ツアーを開催。三重公演は三重県文化会館、そして韓国公演は鳴海さんと交遊のある現地舞台人の協力を得て、京畿道安山市の公立劇場「安山文化芸術の家」で上演を行います。


◆ものがたり◆

 アントン・チェーホフ   (1860-1904)

1899年にモスクワ芸術座で初演されたチェーホフ四大戯曲のひとつ。大学教授夫妻が前妻が残した領地を訪れ、立ち去るまでの物語。人生の半分以上を姪ソーニャとともに領地を管理し、教授に奉仕してきたワーニャは、教授への失望とともに自分の人生の浪費に絶望します。そのワーニャを慰めるソーニャの言葉は、チェーホフ戯曲の中でもっとも美しい台詞として知られています。


◆なぜ今ワーニャ伯父さんなのか? ◆

これまで第七劇場では、チェーホフの四大戯曲のうち、「かもめ」と「三人姉妹」を製作しました。「かもめ」は2007年に初演し、その後、2010年のリクリエイション版はこれまでに国内7都市、海外3都市(フランス、韓国、台湾)で上演されました。「三人姉妹」は私がポーラ美術振興財団の在外研修員として1年間フランスで活動した直後、2013年に日仏俳優の協働作品として新国立劇場小劇場で上演されました。

このチェーホフ原作の2つの作品の上演は、期せずして、第七劇場にとって、大きな節目となりました。

2019年、今年は私が劇団を設立して20年という節目となります。その節目に、何を製作しようか考えたとき、やはりチェーホフ戯曲が浮かびました。 

いわゆるチェーホフ四大戯曲で、まだ第七劇場で製作していないのは「ワーニャ伯父さん」と「桜の園」です。この二つを読み返したとき、「ワーニャ伯父さん」の4幕の終わりで流されるワーニャの涙の意味が、以前読んだ記憶とずいぶん変わったことに驚きました。それは私自身も歳を重ねたからだとは思いますが、そのワーニャを巡る風景は、今の私、そして平成が終わる日本、さまざまな課題を解決できぬままの世界と多くの点で共通するものだと感じ、今回「ワーニャ伯父さん」を製作することに決めました。 

私たち生きているものは、誰一人としてワーニャの涙と無関係ではいられません。人ひとりの時間は有限であるという当然の事実は、不安定ながら未来あるソーニャに対照されて、よりはっきりと浮かび上がります。しかし、そのソーニャでさえ、ワーニャと同様に有限であり、ワーニャよりも豊かな人生を送れるとは限りません。それどころか「ワーニャ伯父さん」に登場する人物は皆、ほしいものが得られず、求めているひとから認められていません。その背後で時間だけは刻々と過ぎていきます。これはまさに私たち一人ひとりの物語であり、私たちの社会/世界の物語だと、私は感じています。
        ― 鳴海康平(第七劇場 代表 演出家、Théâtre de Belleville 芸術監督)



◆登場人物の名前に隠されたキャラクター像◆

ロシア文学では、登場人物たちの名前を覚えるのに一苦労ですが、実はこの名前に物語の手がかりが隠されています。名前そのものがキャラクターの役割を表しているのです。

ワーニャ

日本名では太郎のように、ロシアで最もポピュラーな名前。亡き妹の残した領地を管理し、妹の夫である教授を崇拝して、平凡な人生を送ってきた。イワン。キリスト教の聖人イオアン=聖ヨハネが由来。

ソーニャ

ワーニャの亡き妹とセレブリャーコーフの娘。ワーニャの姪。勤勉で聡明。ソフィア。「智慧」「叡智」を象徴している。
エレーナ セレブリャーコーフの若く美しい後妻。27歳。学者としての才能に惹かれ、セレブリャーコーフと結婚する。作中では、自身を“添え物みたいな女”と称している。「光」「輝き」を象徴している。
セレブリャーコーフ 退職した大学教授。ウラジーミル・アレクサンドル。皇帝の名にも用いられ、「威光」「権威」を象徴する。


アーストロフ

医者・自然保護活動家。ワーニャの友人であり、セレブリャーコーフの診察をしている。ミハイル。旧約聖書に登場する大天使ミカエル(人々を病から救い、正しい方向に導く七大天使の一人)に由来。
ヴォイニーツカヤ夫人 ワーニャの母。信心深い。マリヤ。聖母マリア。

 


◆報われない人たちへのレクイエムとしての演出◆

原作では、ソーニャが絶望したワーニャを慰める美しい台詞で幕を閉じます。しかし、もしも仮に、救われると信じて誰よりも耐え続けていたソーニャが若くして亡くなってしまったとしたら…。今作では、そんな仮定のもと、ソーニャの墓標の前で登場人物たちが花を手向けるところから、物語を回想していきます。歴史を振り返ると、私たちは往々にして失って初めて、犠牲となった人々の声なき声を、そして自分たちの過ちを知ります。けれども、そうなる前に、報われない人々の声を聴き、未来に何を残せるかを考えなければなりません。今作で使用されるパニヒダ(ロシア正教で使用される死者のための祈りの音楽)は、厳かにそのことを私たちに教えてくれます。


稽古風景より

劇団設立20周年公演
第七劇場「ワーニャ伯父さん」

原作 A・チェーホフ
構成・演出・美術 鳴海康平
出演  木母千尋 小菅紘史 獅子見琵琶 藤村昇太郎 諏訪七海 
    牧山祐大(SPAC-静岡県舞台芸術センター)
日時      7月14日(日曜日) 14時/18時    
    7月15日(月曜祝日)14時    
    上演予定時間|約100分  ※各回終了後、トーク有
会場  三重県文化会館 小ホール
料金  《整理番号付き自由席》一般2,500円(当日3,000円)
    25歳以下1,000円 18歳以下500円
    ★三重県文化会館、エムズネットにて販売中。

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台湾 文化の交差点で味わう優しいひととき 〜舞台「珈琲時光」台湾公演レポート〜



第七劇場(三重)とShakespeare’s Wild Sisters Group(台北)ー2つの劇団による日本と台湾の国際共同制作として、2016年より始まった演劇プロジェクトNotes Exchange。そのフィナーレとなる舞台「珈琲時光」の台湾公演が、12月1日に開幕しました。今回は、その小旅行の様子をご紹介! (Photo:松原豊)

淡水の街並みと、丘の上に立つ雲門劇場



 

 台湾公演の会場は、台北駅前から地下鉄MRTで約40分。博物館や公園が点在し、アーティスティックな雰囲気が漂う人気のスポット・淡水地区にあります。雑多で豊富な食材が揃う淡水老街には、屋台が立ち並び、100円ほどで味わえるイワシのつみれスープ「魚丸湯(ユーワンタン)」は絶品。更に河沿いを進むと、お洒落なカフェや雑貨屋が立ち並び、夜にはこの時期、幻想的なイルミネーションを見ることができます。  

 そこから小高い丘のほうへ歩みを進めると、見えてくるのが雲門劇場。緑に囲まれた中に、遊び心溢れるオブジェが点在し、眼下にはフォトジェニックな景色が広がります。雲門劇場は、世界的に有名なダンスカンパニー「雲門舞集」の本拠地。基金を設立し建てられた民間の劇場で、稽古場とホールを併設し、曲線美の外観が近未来を思わせます。敷地内の蓮池には「旋的冥想(めぐる瞑想)」と名付けられた、雲門第一人者のパフォーマー羅曼菲(ルオ・マンフェイ)の像も。


 



 

音楽のように日常を紡ぐ戯曲と 質感や温度が伝わる演出





 そんな由緒ある劇場で幕を開けた舞台「珈琲時光」。小津安二郎がセットの小道具にも本物の一級品を使用するなどのこだわりを見せたように、今回の舞台も衣装や食器にもセンスが光ります。初日は、老若男女100名以上のお客様が訪れ、12月3日にはレセプションパーティーも開かれました。その中からいくつか現地の声をお届けします。

《珈琲時光》多重的人物丶時空丶語言丶物件…,猶如多重旋律線的分進交融和對話。?一條旋律線,既能共存,也能獨自存在,自成一個世界。這樣的時光,?是複雜,但在呈現上,卻能有條不紊,乾淨明晰,簡約中又不失温度,甚至連字幕的成型與速度,也創造了空間的節奏。江文也和小津是故事的人物,或只是符號,王嘉明和鳴海康平的交會更成就了一齣好戲。
—林采韻(藝評人)

《珈琲時光》重層的な人物、時空、言語、モノ…、いくつものメロディが交わり、溶け合い、対話を成していく。メロディごとに共存することも、単独で存在することもでき、1つの世界を構成している。このような時間、複雑で、しかしあるがままで、秩序立てることもできて、洗練され、シンプルかつ温度を失わない。字幕に至っては、その心地よいスピードで、空間のリズムをも創造していた。江文也※1と小津は物語の中の人物であり、あるいはただの記号であるが、王嘉明と鳴海康平の試みは成功していた。実によい芝居であった。
—林采韻(劇評家)

導演鳴海康平的簡潔俐落,卻從王嘉明的複雜中,萃取出一種透明感,以往王嘉明的多線處理中所?生的和聲外音也好、裝飾音也好、不協和音也好,都被梳理成存在但看不見的光,但我最喜愛的是,鳴海康平雖然以極簡的手法塑造《珈琲時光》,但有別於極簡常伴隨的冰冷,鳴海卻賦予整齣戲一個剛剛好的温度—就像??,温熱不湯口。
—林芳宜(作曲家)

鳴海康平の演出はシンプルで無駄がなく、王嘉明の複雑な戯曲から、透明感を抽出して、これまでの王のマルチライン処理で生成された外部音、装飾音、不協和音、それらすべてが透過されて、目には見えない光になっていた。しかし、私が最も好きなのは、鳴海康平がきわめてシンプルな方法で《珈琲時光》を形作りながら、冷めてもおらず、熱すぎもせず、ちょうど良い温度でコーヒー(作品)を提供していた点だ。
—林芳宜(作曲家)

 日本側の演出家・鳴海康平さんと、台湾側の劇作家・王嘉明(ワン・ジャミン)さんの戯曲が、まるでパズルのピースのようにはまり、舞台上に豊かな劇空間が広がった瞬間でした。




そしてバトンは三重・金沢へ

 盛況のうちに幕を閉じた台湾公演。2月には、いよいよ三重・金沢公演が開幕します。多感な青春時代を三重で過ごした小津安二郎。その小津へのオマージュを込めて、台湾映画の巨匠・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)※2が製作した映画「珈琲時光」。そして、台湾の水利事業に貢献した金沢出身の技術者・八田與一※3。三重・台湾・金沢がつながり、一つの味わいが生まれる瞬間をぜひ劇場でお楽しみください。


 

【注釈】
※1 江文也(こうぶんや)…1910-1983年。台湾出身の作曲家・声楽家。日本に留学し1936年のベルリンオリンピック芸術競技では管弦楽曲「台湾舞曲」を発表。のちに大陸に渡るも戦争によって国籍を奪われ日本と中国に2つの家族を持つことになる。映画『珈琲時光』では、ヒロイン・陽子がライターとして彼の生涯を調べていく。

※2 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)…1947年-。台湾の映画監督。1989年の第46回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞(『悲情城市』)をはじめ、国内外の数々の映画賞を受賞。2003年には、小津安二郎生誕100年を記念した映画『珈琲時光』(主演:一青窈・浅野忠信)を製作している。侯監督と台湾側の劇作家・王嘉明さんが友人であったことから、今回の舞台が実現した。

※3 八田與一(はったよいち)…1886-1942年。金沢出身の土木技術者。台湾へ渡り、上下水道の整備に貢献したほか、烏山頭ダムを完成させ嘉南地域の農業を救った。この功績を称え、ダムの近くには彼の銅像と記念館が建てられている。

三重県文化会館×金沢21世紀美術館 
第七劇場×Shakespeare’s Wild Sisters Group

日台国際共同プロジェクト Notes Exchange vol.3
舞台「珈琲時光」

企画協力 侯孝賢
脚本   王嘉明
演出   王嘉明 鳴海康平
出演  【台北】Fa、圏圏 
    【三重】佐直由佳子、小菅紘史、
        木母千尋、菊原真結、三浦真樹  
    【静岡】鈴木真理子〔SPAC〕 
    【金沢】西本浩明〔演芸列車「東西本線」〕
日時       2月10日(日) 14時/19時
     2月11日(月祝)14時
     上演予定時間|約100分 
     ※日本語・中国語・英語字幕付き 
     ※各回終了後、トークセッション開催
会場   三重県文化会館 小ホール
料金  《整理番号付き自由席》一般2,500円(当日3,000円)
     25歳以下1,000円 18歳以下500円
★三重県文化会館、エムズネット、第七劇場WEBサイトにて販売中。

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日本3大仇討ちのひとつ “伊賀上野の仇討ち”の舞台を巡って

古典サロン2

9月に第1弾「伊勢音頭恋寝刃」が盛況のうちに終了したおしゃべり古典サロン。 第2弾は、仇討ちに関わる人々の数奇な運命を描いた家族ドラマ「伊賀越道中双六」をご紹介します。 寛永11年、伊賀上野の鍵屋の辻で起こった実際の仇討ち事件を題材に、家族を殺された志津馬が、義弟の唐木政右衛門と共に敵役・股五郎を追って東海道をすごろくのように旅するお話。中でも“三十六人斬り”の逸話が残る仇討ちのヒーロー・荒木又右衛門(作中では唐木政右衛門)は、映画や小説でも数多く取り上げられています。 今回は、物語のクライマックスとなった地、伊賀上野の鍵屋の辻を散策!

11月7日、仇討が成就した日

伊賀を訪れたのは、奇しくも仇討ちが成就した11月7日。 色づく紅葉の中で、鍵屋の辻にある資料館では、法要が執り行われていました。 今から350年近く前のこの日、敵役・又五郎(作中では股五郎)たちが鍵屋の辻を通って江戸に向かう事を知った数馬(作中では志津馬)と又右衛門は、辻の茶屋萬屋で待ち伏せ。早朝、辻をさしかかった又五郎たちの前に立ちふさがり、斬りかかったといいます。そのときの手勢は、又五郎方11人、数馬方4人。又右衛門の活躍で優位に立ち、数馬は激闘の末に又五郎を討ち取りました。資料館のお庭には、又五郎の首を洗ったといわれる「首洗いの池」が…。

 紅葉が美しい伊賀越資料館

 首洗いの池

日本3大仇討ちのひとつに数えられるワケ

一富士、二鷹、三茄子といえば縁起物ですが、実は日本三大仇討ちが語源という説があるのをご存知ですか? “富士”山の裾野で果たされた曾我兄弟の仇討ち、主君浅野家の紋所が“鷹”の羽だった赤穂浪士の討入り、 そして、“茄子”の産地である伊賀で大願を“成す”に至った伊賀上野の仇討ち。 伊賀上野の仇討ちは、江戸時代に仇討ちが認められていたとはいえ成就が難しかった中で見事成功したのはもちろん、当時としても注目の出来事でした。というのも、仇討ちは目上の者の敵を目下の者が討つもの。親の敵を子が討つのは一般的ですが、数馬が討とうとしたのは、弟・源太夫の敵。そんな反例が認められたのは、大名と旗本の政治的な対立が絡んでいたからといわれています。


三代目豊国の錦絵
仇討ちに使用した兜や装束

仇討ちのヒーロー・荒木又右衛門

仇討ちで活躍した荒木又右衛門には数々の逸話が残っていますが、仇討ちの最中、愛刀の伊賀守金道がつば元から折れたのを、のちに藤堂藩の剣士・戸波又兵衛になじられたとのこと。普通なら怒り出しそうですが、彼は未熟を恥じて弟子入りを願い出たそう。実直な又右衛門の人柄が垣間見られますね。 資料館を出ると、鍵屋の辻のすぐそばには、仇討ちの待ち伏せに利用した茶屋を再現した「数馬茶店」が営業中。伊賀牛を使った料理から定番の甘味までメニューも豊富で、ちょっと一息にぴったりです。そこから10分ほど散策すると、仇討ちの検視にも立ち会った藤堂藩の名城・上野城がお目見え。ぜひ足を伸ばしてみては。

鍵屋の辻にある数馬茶屋
 築城の名手・藤堂高虎の上野城


クライマックスの「伊賀上野の段」に至るまでも、道中では親子や夫婦の情愛を描いた切ないエピソードが展開し、「岡崎」「沼津」の段も見逃せません。涙なしには見られない大作。年明けのおしゃべり古典サロンでじっくり解説します。

おしゃべり古典サロン

vol.2テーマ 『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』 
講師     木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
       田中綾乃(三重大学人文学部准教授)
日時         
2019年1月14日(月祝) 14時00分〜16時00分
会場     
生涯学習センター2階 視聴覚室
受講料    1000円

詳細はコチラ

インターンシップは見た!】三重大学松永さん編6

三重県文化会館にインターンシップに来ている、
三重大学人文学部の松永萌さんによるインターンシップブログ第六弾です

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 こんにちは。インターン生の松永です。今回で6回目のインターンとなります。
ついにブルガリア国立歌劇場によるトゥーランドット公演の前日になりましたので、担当の鈴木さんと一緒に前日の準備に携わらせていただきました。
 公演の行われる大ホールでは仮設の車椅子専用席を設けるという事で、指定のエリアでの座席を移動し、車椅子の方が移動できるスペースをつくりました。最近ではもともと備え付けのホールもあることから日ごろ利用している側としてはあまり意識していない部分でしたので、こういったバリアフリーへの意識ができて非常によかったと感じています。
 次にケータリングの準備をしましたが、オペラのキャスト・スタッフは他の公演に比べて非常に多いため、かなり多くの数が必要だという印象を受けました。また今回の公演はブルガリア国立歌劇場の方々のため、買い出しに行った際にも、外国人の嗜好をなるべく考えたうえでケータリング選びをしているとのお話を伺いました。華やかなキャストの方々の裏では、常にその方々に快適に楽屋を利用していただけるよう最善の手配をしている様子がみえました。
 また、当日の楽屋は本来畳の部屋もあるのですが、外国の方々に靴を脱いであがる文化はないため、靴のままでも利用できるよう楽屋にマットを敷いて養生をしました。このようなサービスは他にもあまりみられない対応ですので、私自身たいへん印象的です。全体を通して重労働な日でもありましたが、大ホールでのオーケストラピットが可動する様子などめったにみられない光景をみさせていただきましたので、やりがいのある一日になったように思います。そして、前回あらすじ書きを一部担当させていただいたプログラムが、すごく素敵なデザインになってついに完成しました!本番がより楽しみです。搬出入などの作業が今日なかったこともあり、当日の開演前はたいへん忙しくなるように思われますが、最後まで精一杯努めていきたいと思っております。 どうぞよろしくお願いいたします。
blog写真2

文:インターン 三重大学 松永萌

【インターンシップは見た!】三重大学松永さん編5

三重県文化会館にインターンシップに来ている、
三重大学人文学部の松永萌さんによるインターンシップブログ第五弾です

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こんにちは。インターン生の松永です。本日5回目のインターンをさせていただきました。

今日は担当させていただいている1011日のオペラ「トゥーランドット」において、
当日配布のプログラムに掲載予定のあらすじを一部分作成することをいたしました。
オペラの第2幕第1場と、第3幕第2場について、本作品の映像を拝見したうえで考えさせていただきましたが、
限られた字数の中でわかりやすく、的確にストーリー展開を表現していくことはやはり簡単なことではないように感じます。
修正・推敲の後、当日のプログラムに掲載させていただく予定ですので、当日いらっしゃる方には是非お読みいただければ幸いです。
インターン生事務作業

広報においては今後も様々なところへ先日作成したチラシを配布していただく予定でおります。
一人でも多くの人に当作品を観ていただければと思っております。

残すところインターン活動をさせていただく日もあと2日となりました。
最後まで一生懸命努めていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

文:インターン 三重大学 松永萌

【インターンシップは見た!】三重大学松永さん編4

三重県文化会館にインターンシップに来ている、
三重大学人文学部の松永萌さんによるインターンシップブログ第四弾です

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 こんにちは。インターン生の松永です。本日4回目のインターン活動をさせていただきました。

 新聞の記事チェックを行った後、1011日公演予定のオペラ「トゥーランドット」ならびにキャンパスシートの宣伝活動について今後の活動を話し合いました。前回完成したフライヤーの紙媒体を使って、三重県内の大学・高校等に配るという形をとらせていただくことになりました。特に大学等においては、構内の掲示のみでは効果的な集客が見込めない可能性もみられるので、管弦楽・吹奏楽などの文化系クラブがあればそれぞれに直接配って宣伝をするという手段も取り入れていくことになりました。また隣県高校の音楽科も視野にいれていく予定です。SNSの発信においては公式アカウントからの宣伝を週1で進め、フォロワーにもリツイート等をしていただく形でより拡散してもらうことを期待しています。三重県文化会館にしかないキャンパスシート自体の存在を近隣の学生から周知してもらうことが一番重要であることのように感じました。

チラシ

 また活動の途中で、今年の夏に行われたM祭についての会議内容を一部拝聴いたしました。一度に多数のプログラムを同時進行するようなイベントに関しては各部署との連携や準備等が非常に大変であるような印象を持ちましたが、このような会議の進行を直に見られるといった機会は初めてでしたので、非常に貴重な体験となりました。今後ともよろしくお願いいたします。

文:インターン 三重大学 松永萌

【インターンシップは見た!】三重大学松永さん編3

三重県文化会館にインターンシップに来ている、
三重大学人文学部の松永萌さんによるインターンシップブログ第三弾です

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 こんにちは。
 文化会館でインターンをさせていただいております松永です。本日で3回目のインターン活動になります。
   本来では翌日に開催される予定でした講座のリハーサルに参加させていただく予定でしたが、台風の影響で講演会が中止になりましたので、引き続きSNS上の宣伝活動に向けて準備作業を行いました。
   鈴木さんのご意見を頂きながら、Twitter・Instagram用に使用するチラシの図面を修正し、紙媒体のフライヤーとしても使えるようにデザインしました。またそれぞれのアプリで宣伝する時に載せるキャプションも制作したので、今後すぐに宣伝に移せるような形になっています。今後はこのフライヤーを使って、三重県内の学校構内での宣伝活動についても考えていく予定です。
インターン生事務作業
   講座が中止になってしまったのは非常に残念でなりませんが、講座キャンセルのお知らせ、払い戻しのお電話等、その際に適切に対処することについても色々と教えていただきました。こうしたイレギュラーなスケジュールは十分に起きると思いますが、中止作業を行うことは、講座を実行する事よりも大変なことの様に感じます。
   次回のインターンは来週の予定です。
 今後の活動に向けても引き続き頑張りますので、よろしくお願いいたします。

文:インターン 三重大学 松永萌

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