三重県埋蔵文化財センター共催講座「本能寺の変と三重の城郭」の事業報告

開催日
2021年11月13日(土曜日)
開催時間
13時30分から15時30分まで
開催場所
三重県文化会館1階 レセプションルーム(YouTubeライブにて同時配信)
講師
竹田憲治さん(三重県埋蔵文化財センター)
参加者数
120名(会場受講62名・オンライン受講58名)
受講料
無料

今回のまなびぃすとセミナーは「本能寺の変と三重の城郭」と題し、三重県埋蔵文化財センターの竹田憲治(たけだ けんじ)さんにお話いただきました。 三重県埋蔵文化財センターが公開考古学講座「三重を掘る」として開催する年間講座のうち1回を、特別講座として三重県生涯学習センターと共催し、総合文化センターを会場に開催しています。

天正10年6月2日早朝、本能寺の変、勃発。

この歴史上の大事件は、京都だけでなく三重の地にも大きな影響を与えました。
当時、伊賀の国、伊勢の国を領国としていたのは信長の二男、信雄(のぶかつ)。
「本能寺の変」をきっかけに、伊賀では「天正伊賀の乱」で敗走した牢人たちが近江や山城、大和との国境付近の城を占拠して籠城、南伊勢では北畠具親(きたばたけともちか)を中心とした蜂起がおこります。
講座では「本能寺の変」前後の三重県の情勢を文献や地図から紐解き、三重での戦いの様子や信勝が領国経営をどのように考えていたのかを学ぶことができました。
これらの戦いの舞台となった城跡・史跡には現在も残っているものもあり、ぜひ現地を訪れて歴史を感じてほしいと締めくくられました。

  • 会場の様子
    会場は満席でした。テーマへの関心の高さがうかがわれます。
  • 参考文献を案内する
    三重の城郭についての参考文献を案内されました。
  • YouTube でも同時配信
    講座の様子はYouTubeでも配信いたしました。

オンラインでいただいた質問とその回答

[質問]
織田に攻め込まれる直前の状況が知りたいです。 なぜ、伊勢を統一する領主が起きなかったのかが知りたいです。

[回答]
南北朝時代から室町時代の伊勢国の状況は、概ね次の通りです。
このような状況は南北朝の動乱ごろからはじまり、室町時代には固まりました。伊勢国では室町時代以来の体制が戦国時代まで続いていたので、一国を支配するような勢力が現れなかったと考えられます。

四日市市以北あたりは、小領主が割拠するような状況。
鈴鹿市、亀山市あたりは関氏、神戸氏による支配。
津市北部あたりは長野氏による支配。
津市南部、松阪市あたりは北畠氏による支配。
多気郡・伊勢市あたりは伊勢神宮と北畠氏による抗争。以上です。


三重の城がもっと知りたい方へ ものしりトラベラー「北畠氏館跡のひみつ」事業報告へのリンク外部リンク

参加者の声

  • 本能寺の変は非常に興味のあるテーマですが、それを地元三重におきかえて話を聞くという機会はこれまでになかったので、非常に興味深く聞けた。より身近に感じられた。(会場受講者)
  • 本能寺の変の後、三重県内は大変混乱していた様子が手に取るように分かり、驚きを持って話に聞き入りました。表面化していない物語がたくさんあるのだと知りました。(会場受講者)
  • 今回の講習を聞き、尋ねていきたい場所が多数みつかりました。ぜひこれからも、こういった講習を続けていっていただけたら嬉しいです。(オンライン受講者)
  • これまで歴史に関心も知識もなくきたのですが、少し違うことにも興味を持ってみようと思っていたところ、今回、配信の講座を見つけ、それが偶然にも伊賀のお話で(講義が始まってから知りました…)、初めて歴史を学んだ気持ちです。 資料もとてもわかりやすく、また、講義というより、お話を聞くという風な気持ちで聞け、先生の歴史愛も伝わるようでした。※感想より一部抜粋(オンライン受講者)