注意2019年10月に発行された「いきいき生涯&ゆうゆう学習」32号のインタビュー内容をそのまま掲載しています。

インタビュー りょうがん所長のこの人に聞きました!
鳥羽市立海の博物館(鳥羽市浦村町)の事務局長 石原真伊さん

インタビューの様子

今回は、みえミュージアムセミナーで連携していただいている、鳥羽市立海の博物館(鳥羽市浦村町)の事務局長・石原真伊さんに、三重県生涯学習センターの所長・長島りょうがんがお話を伺いました。
海の博物館は昭和46年に開館し、平成4年に現在の地に移転しました。海女や漁、木造船など海にかかわる約6万点(内6,879点が国指定重要有形民俗文化財)もの資料を所蔵する日本唯一の博物館で、建物は日本文化デザイン賞や日本建築学会賞など多くの賞を受賞しています。また、長年にわたり日本の「海女」文化をユネスコ無形文化遺産に登録する運動を進められています。

(インタビュー 2019年8月22日 鳥羽市立海の博物館にて)

  


海の博物館の前で

所長:いつも思うのですが海の博物館は建物の中に入ると落ち着いた気持ちになりますね。木の香りが残っているというか。建てられてから時間があまり経っていないのかな。

石原さん:現在の海の博物館は平成4年に建てられたんですよ。今年で27年目です。

所長:三重県総合文化センターが今年開館25周年なので、ほぼ同じ時期に建てられたのですね。
海の博物館は古さを感じさせないというか、メンテナンスがしっかりしているのですね。

石原さん:実はこれまで予算も少なかったので、あまり手を加えたりはしていないのですが、建物がシンプルなのであまりメンナンスしなくても済んでいるという有難い建物ですね。

所長:建築デザインを有名な方がされたそうですね。9月にミュージアムセミナーでいわさきちひろさんのご子息の松本猛さんをお呼びするのですが、松本さんが設立された安曇野ちひろ美術館も同じ建築家さんとお聞きしました。

石原さん:内藤廣さんです。父(海の博物館前館長 石原義剛さん)の時代に内藤さんと一緒にここを作りました。その時にもあまり予算が無くて、なるべくシンプルに何もつけずにということだったのですが、やはり「木」というものが日本の昔ながらの伝統的な建物としてあるので、木で作ってほしいとお願いしたそうです。本当にナチュラルなものでできているので、それが今になって功を奏しているみたいです。

所長:建物自体が本当に魅力的ですね。

石原さん:そうですね、資料よりも建築だけを見に来る学生さんも結構います。

所長:この建物や海が近くにあってと…ここに来るだけでも癒されますね。 ぜひここにいろんな人が来てほしいなぁ。

石原さん:そう思っていただけると嬉しいです。

色々な海に関する史料が展示されています

所長:展示の方は、常設で色々な海に関する史料を展示をされていますが、企画展もされていますね。今年はどんなことを企画されているのですか?

石原さん:今年は4月から漁村コレクション“漁コレ”と言いまして、漁村の衣服に注目しました。海の博物館というのは、船や漁具ばかりがあると思われているのですが、実は衣類関係もたくさん保存されていまして、漁民がずっと使ってきた衣服や祭礼の装束・着物などもあるので、4月はそれに特化して企画展を行いました。 8月は「クジラ」です。クジラは子どもたちにも人気があるので、夏向きに企画しました。クジラは捕鯨に関しては色々な所でよく取り上げられているのですが、今回はビジュアルがどのように親しまれてきたのかということをテーマにしています。

所長:クジラは昔から、浦々にきたら、村が潤うと言われていて、僕は熊野出身なのですが、昔は時々小さなクジラが波打ち際に打ち上げられると市内に放送が入って、みんな鍋と包丁を持って肉を削ぎに来るんですよ。

石原さん:自分たちで削るんですか!

所長:細かく削ってくれる人もいるんですが、自分たちでもやるんです。

石原さん:じゃあ生肉を持って帰って自分たちで調理するんですか?

所長:そうです。昔ですけどその時代を思い出しました。跡形もなく骨だけになって…クジラは全部使えるというか。

石原さん:そうです、クジラは食べてもいいし、骨などは民芸品になったり、薬としても使えるし、日本人は余すところなく使ってきた。

所長:日本全国でクジラが捕れるところはありますが、幸福をもってくる神様と思っていたところもあったのでしょうね。クジラ船があったりしますしね。
マッコウクジラの群れが5月から9月に紀伊半島沖にくるのですが僕は中学校の校長をしていたことがあって、その時に、子どもたちを漁船に乗せてもらって見に行ったりしました。群れで動いている姿を見て、ひとりぼっちじゃない社会をそこに見た気がして、そこにマッコウクジラがドカーンと出てきて神様みたいな存在だと思いましたね。

石原さん:海の博物館では年間3回の企画展を行います。今年のあと残りの1回は鳥羽の離島の坂手島をやります。
観光資源が少ないので、今はあまり知られていませんが、やはり坂手島も漁業の島で「一本釣り漁」が盛んにおこなわれていました。手作りの漁撈道具もたくさん残っています。

(写真左から)平賀海の博物館館長、石原さん、りょうがん所長

所長:菅島や答志島、神島は知っていても、坂手島を知らない方も多いのでしょうね。

石原さん:他の離島にはそれぞれに祭りや神事が残っていたりするので、写真家の方たちが、カメラにおさめ、紹介することで広く一般にも伝わっていると思います。

所長:本島からちょっと離れただけなのに、良い文化が残っているのですね。

石原さん:そうなんです。神島や答志島、菅島とはまた違う文化が残っていて、そういうところも紹介できると地元の方も来ていただけると思うし。

所長:なるほど。知らない坂手を一つ逆手にとって!!!

石原さん:ふふふそうですね。

所長:今度1月に生涯学習センターで講演してもらうミュージアムセミナーでは、その離島がテーマなのですね。

石原さん:坂手島だけでなく鳥羽の離島全体のお話になると思うのですが、学芸員の縣から鳥羽の離島の魅力をお話しさせていただくと思います。

所長:僕は音楽活動をしていまして、今はもう無いのですが坂手島の小学校にコンサートで呼ばれたことがあるんですよ。島に着いて楽器を運ぶのに車を使うのかなと思ったらリヤカーがやってきたことを思い出しますよ(笑)

この海の博物館は、H29年10月から私営から市立に変わったのですが、何か変わったことはありますか?

石原さん:私たちスタッフも指定管理者としてそのまま残っているわけですが、いろんな企画や体験活動など引き続きやらせていただいています。そこは今までのやり方を変えずに鳥羽市の方々にも本当に理解していただいています。

所長:全国に海の博物館の名前が知られていって前館長(※1)の思いも伝わってほしいね。
これだけのことをしようとはなかなか思わないもんね。やはり海を愛して、それを知ってほしいという思いがあるね。
全国にも海の博物館とかはあるのですか。

石原さん:海洋博物館になると思いますが、そうなると魚の標本であるとか水族館に近いものになりますね。当館の場合は、人が海とどう関わってきたか、漁業はもちろんですが、環境問題とか、海への信仰心とか、本当に海にまつわる全てのことを紹介しています。そういうところまで踏み込んだ博物館は少ないかもしれませんね。

所長:石原さんの好きな博物館はありますか?

石原さん:えーいっぱいありますけど、大阪の国立民族学博物館も好きですね。子どもの頃に行ったときに、世界の民族の資料がたくさんあって、何も知らない自分に世界の様々なものがいきなり突き付けられて「なんだこの世界は!」と感動した覚えがあります。

所長:僕は行ったことがないのでぜひ行ってみたいと思います。 その感動と同じように、この海の博物館を訪れた人も同じ感覚で、「なんだこの博物館は!」って感じると思う。それは建物であったりコンセプトであったり体験であったりといろんな手をつかっているなぁと感じました。 これからここをこうしたいとかありますか?

石原さん:鳥羽市立になって、もちろん市民の方にも知名度は上がったと思うのですが、やはりもっと利用していただきたいですね。漁業の盛んな鳥羽の人たちにはまだまだ生活の一部である身近な展示物も多いと思うので面白いと思えないかもしれないのですが、博物館が観光客や外の方にそういったものを見ていただいて伝えているということをもっと知ってもらいたいですし、自分たちの使ってきたものが本当に大切なもので、残していかなければ消えてしまうものだということも感じていただきたいですね。そしてこの博物館を好きになっていただいて、他の方に自慢していただけるような施設になるといいなと思いますね。

所長:熊野も同じなのですが、他所から来る人の方が観光名所や施設のことをよく知っていたりして、なかなか地元の人が関心をもっていないことがあるんですよね。そこをどうするかが今後考えていかなければいけない課題ですね。


※1 平成30年9月に亡くなられた石原さんの父親でもある石原義剛さん(享年81歳)。海の博物館創設当初から亡くなるまで海の博物館の館長を務められる


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