三重県埋蔵文化財センター共催講座「三重の古墳時代の土器生産」の事業報告

開催日
2025年11月16日(日曜日)
開催時間
13時30分から15時30分まで
開催場所
三重県男女共同参画センター 多目的ホール(三重県総合文化センター)/YouTubeライブにて同時配信
講師
渡辺 和仁さん(三重県埋蔵文化財センター)
受講人数
会場98名、オンライン50名
参加費
無料

三重県埋蔵文化財センター共催講座は、三重県埋蔵文化財センターの公開考古学講座「三重を掘る」のうち1回を、特別講座として三重県生涯学習センターと共催し、総合文化センターを会場に開催しているものです。
今回は「三重の古墳時代の土器生産」と題し、三重県埋蔵文化財センターの渡辺 和仁(わたなべ かずひと)さんにお話しいただきました。

講師 渡辺和仁さん
講師 渡辺和仁さん

古墳時代の三重ではどのように土器が作られ、土器を製作していた工人集団はどのような理由でどこから来たのか———
講座では、「須恵器(すえき)」に焦点を当て、考古学的視点と豊富な写真資料をもとに三重の土器生産についてお話しいただきました。

「須恵器」とは、ロクロを用いて成形し、高温で焼き上げられた硬質の土器のことです。野焼きで製作される「土師器(はじき)」とは異なり、須恵器の生産には、朝鮮半島から伝わったロクロなどの新しい技術をもつ専門工人の存在が不可欠でした。五世紀後半から七世紀にかけて広く須恵器の生産が展開され、古墳の副葬品にも用いられていました。

伊勢地域最大の須恵器生産地である「徳居(とくすい)古窯跡群」から出土した須恵器と、大和王権と密接に関わりのある大阪の「陶邑(すえむら)古窯跡群」から出土した須恵器との間には、器種・形状・技法など多くの共通点が確認できます。そこから、陶邑窯から技術や工人が、直接、徳居窯へ移り、生産を担っていた可能性が高いと推定され、さらには大和王権と各地域の首長層との関係性もうかがえるように、須恵器の形態的特徴や分布、製作技術の変遷をたどることで、当時の社会情勢や地域開発の様子、須恵器工人と土師器工人が協働して土器を作成していた可能性なども読み取れると説明されました。

須恵器の形態的特徴や技術から古墳時代の社会の姿を読み解く、学びの深まるひと時となりました。

講座の様子
会場の様子。三重県で最古の須恵器は、津市の「六大A遺跡」から出土しています。その文様や形態的特徴の共通性から、製作には渡来系工人が関わっていたと推定されると説明されました。
展示の様子
展示の様子。会場には実際に遺跡から発掘された土器が展示され、参加者が間近で観察できる貴重な機会となりました。

「ブックリスト(関連図書)」のご案内

三重県立図書館に所蔵されている講座関連図書のご案内です。
所蔵状況は講座開催日時点のものです。

「ブックリスト」ダウンロードリンク(PDF形式、685キロバイト)

参加者の声

  • 須恵器生産における技術や窯・遺物により中央集権国家の成り立ちが考えられるのは興味深かった(会場受講)
  • 今、自分が生活している場所に昔の生活の証拠があったということがとても感慨深いものがあった(会場受講)
  • 大変勉強になりました。たくさんの土器を研究され、時代の変化も見ながらお話いただいてわかりやすかったです。今まではどれを見ても同じにみえたけど紋様などしっかりみてみたいと思いました(会場受講)
  • 三重県で出土された須恵器が、陶邑窯からの影響によることを、先生のわかりやすい解説(ことば・図・写真)のおかげで知ることができました。(オンライン受講)
  • 今回をきっかけに少しずつ知識を身につけながら、改めて学んでみたいと感じました。(オンライン受講)