みえアカデミックセミナー2024 皇學館大学公開セミナー「日本の美意識―見てはいけないという物語―」の事業報告
「みえアカデミックセミナー」は、三重県総合文化センターを会場に、三重県にあるすべての大学・短期大学・高等専門学校の高等専門機関全15校が有する高度な学びと県民の皆さまをつなぐ一大連携事業として開催されている公開セミナーです。
毎年7月と8月に各校1日程ずつ、選りすぐりの先生にご専門の研究内容を分かりやすくご講演いただいています。
前身となる「みえ6大学公開講座」(1996年スタート)を経て、「みえアカデミックセミナー」としては、昨年20年目を迎えました。これからも三重県内の皆さまに、たくさんの「まなびの種」をお届けしてまいります。
令和6年度の第9回は、皇學館大学文学部神道学科 教授の橋本 雅之さんを講師にお迎えしました。
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「鶴の恩返し」という名で知られている物語は、本当の姿を見られた鶴が恥ずかしく思って飛び去って行きます。切なく哀れなこの物語は、今も私たちの心を捉えています。なぜ私たちはこの物語に心惹かれるのでしょうか。今回のセミナーでは、悲しく去っていく鶴を美しいと感じる日本の美意識についてお話したいと思います。
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「見てはいけない(開けてはいけない・触れてはいけない)」というタブーを犯す物語は世界中で語られています。その中でも日本の物語は「見られた側」が本当の姿を知られ去っていく、さらに「見た側(約束を破った側)」がその「罪」によって罰せられることがないことが特徴だと前置きされ、古事記とギリシャ神話を比較し、日本的な美意識や「恥」と「罪」をめぐる日本文化の価値観を紐解いていきました。
講師は、古事記の中で「見られた側」が去るのは本当の姿を見られた「恥」の意識からである一方、ギリシャ神話で去るということは禁を破ったことに対する「罰」であるという意識の違いがあるとお話しされました。
また、日本において「罪」は汚いもの(ケガレ)であると意識されおり、「見た側(約束を破った側)」がミソギで「罪悪観を水に流す」行為を取ることが、現代では「悪に手を染める」「足を洗う」といった表現のように文化的価値観として根付いていると読み取ることができます。
「見られた」が故に「恥ずかしい」思いをした、その悲しさに対する同情や共感が強く意識される「潔く去る」という結末。この「はかなさ」や「あわれさ」が日本人好みの美意識であり、去っていく主人公の悲劇的物語がいまでも愛されている所以であると締めくくられました。
- 「見てはいけない」という切り口で、今まで当たらなかった観点にスポットを当てての先生の話にはとても興味があり、とても印象に残る講義でした。ありがとうございました。
- 日本人の好む「潔く去る」ことについて、自分自身の中に共通するものを感じました。
- 神話を学ぶことは現代の日本人の心のあり方を学ぶことにつながっているということが分かりました。日本人的なものの考え方は神話の中からも理解できるという新しい視点に気付きました。ありがとうございました。