みえミュージアムセミナー亀山市歴史博物館「東京から亀山藩への御内状からみた、そのときの亀山」の事業報告
亀山市歴史博物館で開催中の第31回企画展「明治150年 幕末明治そのときの亀山」に併せて、亀山市歴史博物館の館長・小林秀樹さんに、開国から大政奉還を経た世の中において、亀山はどんな様子だったのかを、その当時に書かれた「内状」を通して、読み解いていただきました。
まずは、この企画展で展示されている「内状」とはどのようなものなのか?ということについて説明されました。内状とは政府とのやりとりによって生じた事前の情報や知らせを伝えている亀山と東京とのやりとりをした書状のことであると説明されました。
亀山市歴史博物館が所蔵する亀山城主石川家の家老加藤家に伝来した文書からは、明治政府による政策が、どのように亀山藩や亀山県に伝えられたか、また旧石川家(殿)や家臣であった人々が、新しい世の中でどのように対応していたかを伝える史料となっていると話されました。
後半は、実際に内状を読み上げながら、内容を見ていきました。「1か月に6度出していた定便を、忙しいので3度にする」ということから、津藩の動きを気にする内容など、あらゆることが内状に記されていました。また、明治3年から明治4年の間に、「定便」という言葉が「郵便」という言葉に変わっていたり、用紙が巻紙から罫紙に変わっていたりと、幕末明治という目まぐるしく変わる世の中の様子が、内状の一部からも読み取ることができました。
漢詩のような文面のため、読み方や意味を講師の方が丁寧に説明されるのを参加者の皆さんが一生懸命耳を傾けてみえました。
- 内状についてわかりよかった。なかなか読みがむずかしいが当時のことがわかり、そんなことをしていたのだということがおもしろかった。
- 内状を通じて、とても細かい情報のやりとりがされていされていたことがよくわかりました。ちょっと驚きの文面ばかりでした。
- 明治の廃藩置県のあわただしさが、生々しく感じられた。