【ふるさと三重が生んだ写真師 田本研造、堀江鍬次郎を語る 写真師たちが見たNIPPON~幕末から明治初期まで~】の事業報告

開催日
2018年6月23日(土曜日)
開催場所
三重県生涯学習センター2階(三重県総合文化センター) 視聴覚室
開催時間
第1部(講演):13:30~14:15 第2部(クロストーク):14:30~16:00
講師
谷杉 アキラ さん(PhotoStudio TANISUGI 写楽館 館主)  中村 光司 さん(津市教育委員会事務局職員) 瀧川 和也さん( 三重県総合博物館学芸員)松原 豊 さん(写真家・日本写真家協会会員)
参加人数
91人
参加費
無料

 「日本写真の祖」といわれる上野彦馬とともに、同時代を生きた写真師が三重県から二人も輩出されていることはあまり知られていません。明治150年、北海道命名150年を記念し、ふるさと三重が生んだ2人の写真師(堀江鍬次郎、田本研造)を通して、幕末・明治期の日本全体や当時の三重の姿について、【講演】【クロストーク】の2部構成で現代の写真家・専門家たちが語り合いました。

 堀江鍬次郎の資料はほとんど残っていません

まず、【第1部 二人の写真師たちが見た幕末・明治】では、津市教育委員会・中村光司さんに堀江鍬次郎について、幕末1840年代後半に日本に導入された写真術、最古の写真「島津斉彬肖像」、若き日の徳川慶喜の湿版写真など貴重な資料を交え、函館旧田本写真館の館長でもある谷杉アキラさんに田本研造の生涯について、エピソードやその当時の時代背景も含め、お話しいただきました。            堀江は藩にとっても優秀な人材として嘱望されていましたが、36歳という若さで急逝し、その功績を偲ぶ歴史的資料はごくわずかしか存在しません。堀江の墓碑は津市内の四天王寺に安置されており、毎年6月1日(写真の日)には有志による供養と墓参りが行われています。            熊野生まれの田本は音無川を下り新宮へ行き、町の人や旅人の話に刺激を受け、長崎へ医学を志したと言います。また、谷杉さんによると、田本研造と松阪生まれの松浦武四郎の生い立ち(幼少期~青年期)が酷似しており、三重人の探求心の強さ、先進性が感じられるエピソードであるとのことです。

 写真家・専門家たちが語り合いました

【第二部 クロストーク 風土が生んだ写真師たち~幕末・明治の三重は熱かった!?】は、まず、登壇の皆さんが愛用するカメラを手に自己紹介から始まりました。大判カメラやピンホールカメラなど皆さん個性的です。次にコーディーネーターの写真家・松原豊さんより三重県総合博物館学芸員・瀧川和也さんに第1部の感想や写真が導入された時代の三重の様子について聞かれました。トークの中では黒船と共に写真技術がやってきたこと、また、写真を通して見えない世界を見ることの魅力についてトークが展開されました。また、幕末から現代に至るまで、三重(津藩)を出て行った後、表現分野で名を成した人が多いのではと話が進みました。     田本研造と堀江鍬次郎は同い年。長崎で出会っているのか…田本研造と松浦武四郎は蝦夷地(北海道)で出会っていたのか…歴史的史実を検証しながら、当時の風に想いを馳せてロマンたっぷりに語り合い、普段見られないような貴重な写真のスライドショーの中で講座が終了しました。

  •  コーディネーター  松原 豊 さん

  •  谷杉さんと愛用カメラ

  •  瀧川さんと愛用のカメラ



  •  中村さん愛用のカメラ

  • 熱心に聞き入る皆さん


  •  三重出身・現代写真家たちの作品

 撮影:新井良規さん

参加者の声

  • 津市と写真術の関わりの大きいことを知ることができ良かったです。
  • 藤堂藩の藩校に印刷所(技術)があったことなど知らないことが多く、参考になりました。お二人が現代のスマホ、デジカメを見たらどんな反応をされるのかなあと想像してしまいました。
  • 堀江さん、田本さんのリアリティが感じられる。
  • 函館に行ってみたくなりました(カメラや写真は門外漢ですが)