みえアカデミックセミナー2017
移動講座(紀北町会場)
皇學館大学公開セミナー
「熊野古道と慶光院清順上人」の事業報告

開催日
2017年11月26日(日曜日)
開催場所
紀北町立東長島公民館 
開催時間
13時30分から15時00分
講師
皇學館大学文学部国史学科 教授 文学部長 岡野 友彦さん
参加人数
28名
参加費
無料

毎年度夏に県内の高等教育機関と連携し、三重県総合文化センターで開催している公開セミナー「みえアカデミックセミナー」。秋からは、更に各市町が加わり「みえアカデミックセミナー移動講座」として出張講座を開催しています。今年度は、紀北町、松阪市、鳥羽市、桑名市、尾鷲市の5市町での開催です。

みえアカデミックセミナー2017移動講座(全5回)の第1回目は、皇學館大学・紀北町教育委員会と共催して紀北町の会場にて開催しました。

先生が実際八鬼山峠を歩いた時の体験や、その時撮影された写真なども交えて紹介されました。

熊野古道の八鬼山・三木峠には、三十七基の町石と呼ばれる石造遺物が遺されています。そのうちの一つ、尾鷲市街地に近い峠の北側に残る不動明王立像には、正面より右側に「伊勢内宮清順上人為頓証菩提也」、左側に「永禄九年四月三日」という銘文が刻まれています。彼女と熊野にはどのような関係があったのか、中世の熊野信仰を支えた勧進聖と呼ばれる人々の活動を通じて、その謎に迫りました。
まず、八鬼山峠に設置されている「町石」についての説明から始まり、八鬼山の「町石」が中世の終わりごろに設置されていることや慶光院清順上人の供養碑の内容について先生が解説されました。

 

今では二十年に一度行う事が当たり前と思われている式年遷宮も、行うことが出来なかった時代があったことに受講生の皆さんも驚いていました。

続いて、「慶光院清順上人」という尼僧が何故、式年遷宮に尽力し、その功績をたたえられて供養碑が町石とともに八鬼山の参詣道に設置されたのかという謎について、中世の時代における伊勢神宮や宇治橋との関係性に焦点を当てられ説明がありました。また、八鬼山にある町石の特徴を一つ一つ解説され、材質や奉納した人名等からからどんなことが読み取れるのかについて詳しく解説されました。
最後に先生が「丁数から考えて、八鬼山峠の町石は恐らく五十基設置されていたはずで、現在は三十七基までしか発見されていません。八鬼山ルートを歩く際は残りの未発見の町石を探しながら歩くことで、熊野古道の新たな歩き方の楽しみにして欲しいです」と語られて、この日の講義は終了となりました。

 

慶光院清順上人は東紀州出身と考えられているが、未だ証明できる文献は発見されておらず、供養碑がなぜ八鬼山に設置されのかについては、これからの研究で明らかになるかもと熱心に語られていました。
終了後熱心に質問されている受講生の方もみえました。

参加者の声

  • 八鬼山は一度登って見たいと思いつつ、中々登る機会がありませんが講演を聞いて興味がわいてきて、一度は行って見たいと思いました。良いお話を聞かせて頂いて有難うございました。
  • 八鬼山越えの参考になりました。宇治橋に関しても新しい知識習得となりました。ありがとうございました。
  • 歴史に興味があるのですが知らないことが多いので講演を聞けて良かったです。