里中満智子講演会 『万葉集』と『天上の虹』

開催日
2020年10月25日(日曜日)
開催場所
三重県文化会館 大ホール
里中さん顔写真

 新型コロナウイルスの影響により2度の延期となった今年度のファンファーレ講演会。多くの皆さまの応援、ご協力をいただき、ようやく開催することができました。
 今回講師にお招きしたのは、「アリエスの乙女たち」をはじめ数多くの名作を発表し続けているマンガ家、里中満智子さん。女帝である持統天皇を主人公とした作品「天上の虹」を30余年に亘り執筆された里中さんから、万葉集で描かれている時代の男女の生き方などについて、お話いただきました。

万葉集の歌からみる、恋する男女の姿とは

 皆さんこんにちは。今日は万葉集の話から、当時の人たちの暮らしに少し迫れた
らなと思っております。
 私は戦後の団塊の世代の生まれで、戦後女性は強くなったとか、男女平等とかをうたい文句にしている中で育ってきました。でもその前は全て男性中心で、女性は何の意見も言えなかった。女性は自らで生計を立てることはできず、夫あるいは息子あるいは父親、それに付属したものでした。当時、女性が強くなった代わりに男性が弱々しくなったと言われるようになりました。すると大人たちは言うわけです。昔の日本男児は黙って耐えた、言い訳をしなかった、泣かなかったと。そういう風に思い込んでいたんです。私もずっと信じていました。有史以来、日本人の男性と女性の関係はこうだったんだと。ところが、万葉集を見ていたら、ふと気がついたんです。あれ、作者の名前を見なければ、この歌を作った人が男性か女性かわからない、と。
 男性が作ったと分かった歌でも特に惹かれたのが、舎人皇子〈とねりのみこ〉という、今でいうところのプリンスの歌です。
『ますらをや 片恋せむと 嘆けども醜のますらを なほ恋ひにけり』。
どういう意味かというと「男たるもの片思いになんか嘆くものか、みっともない男なんだから、とそう思っても私は醜い男、恥ずかしい男だ、この想いはもう募るばかりだ」という歌です。この歌は、大人たちが言っている、昔の日本男児は愛だの恋だのとメソメソしなかったっていうこととは違います。この人だけの特徴なのだろうかと思っていろいろ探してみると、あるわあるわ。男性なのに恋のためなら死んでもいいとか、そういう切々たる歌がたくさんあります。彼は片思いに嘆いていて、みっともないと思いながら、歌を誰かに捧げています。その証拠に、歌を送られた舎人娘子〈とねりのおとめ〉の返事がちゃんと載っています。『嘆きつつ ますらをのこの 恋ふれこそ我が結ふ髪の ひちてぬれけれ』。意味は「嘆きながら男であるあなたが、そうやって恋をしているから、私の結った髪は濡れてほどけちゃうのね。」となります。

講演会の様子1

 この歌はちょっと上から目線だなっていうのがわかります。それで私は「あれ?」と思いました。皇族である舎人皇子と違って、舎人娘子は皇族ではありません。私たちのイメージでは、身分の高い男性は「あの子がいいな」って言ったら有無を言わせずものにできた。ところが、プリンスがラブレターを書いて、プリンスより身分の下の人が、上から目線で歌を返しているじゃない、とびっくりしました。身分の高い男性から想いを打ち明けられても、それに答えるかどうかはその女性の心次第。それを見て、私がずっと聞いていた、昔の日本男児と全く違う実像が万葉集の中にはあると気づきました。

持統天皇への想いとは

 私がこの時代をテーマにした作品を描くうえで誰を主人公にしようかと思ったときに、できれば万葉集に素晴らしい歌を多く残していて、歌を作った人たちと関わりが深く、その生涯がある程度詳しく分かっている人をと考えました。そしてさらに、創作する人間の欲として、これまで誰も主人公にしてない人を主人公にしたいと思いました。しかもどちらかというと悪く言われている人。歴史解説の本、その全部といってもいいくらい、持統天皇(鸕野讃良皇女〈うののさららのひめみこ〉)のことは良く書いてありませんでした。
 持統天皇は女性です。父の七光り、夫の七光りで権力を手に入れた女。息子を無理やり天皇にしようとして、息子のライバルを殺した。片腕として使っていた高市皇子〈たけちのみこ〉が天皇にふさわしい年齢になってくると、これはまずいとばかりに殺した。証拠もないのに、邪魔者を全部殺して、自分が天皇として君臨したひどい女であると、歴史の解説本にはそんな風に書いてありました。中でも一番私がショックだったのは、持統天皇は夫である天武天皇との間に子どもが一人しかいない。これは義理でしか愛されなかったからであろうと。天武天皇の妻は他にたくさんいて、4人も5人も子どもを産んでる女性もいると。ですが、受胎能力と愛情は別物です。愛情が全くなくても妊娠することは可能ですし、どれだけ愛情が深くても子を授からないご夫婦も世の中にはたくさんいます。子どもの数で愛情の深さを測られたら、夫も妻もたまったもんじゃありません。
 持統天皇のことを権力志向の女であるとか、日本史上最初の教育ママであるとか、夫から愛されなかった女とか、どうしてそんな見てきたようなことを言えるのだろうか、と思って万葉集を広げてみると、彼女の残した歌はものすごく構成力がしっかりしているんですよ。冷静な歌が多く、感情をかき乱されるような歌は、夫が亡くなった時の挽歌だけです。歌を見ていると、感情に任せて人を殺したりするような人ではないだろうと思いました。今度は持統天皇の業績を調べてみると、実に見事に仕事をこなしていたわけですね。さらに自分の存命中に後に道を譲って、それを見届けて亡くなった。かわいそうなところがひとつもないように見えました。

今の日本の男女観はどこからきているのか

講演会の様子2

 我が国は、そもそも男女の別をあまりとやかくいう国ではなかったんじゃないかと思います。男はこうである女はこうである、というのは武家社会、儒教の社会、朱子学の世界、その辺りの中国的儒教とともに入ってきました。でもそれより昔はそうじゃありませんでした。万葉集が編纂された頃の飛鳥時代、奈良時代を見てみますと、男性が女性と同じように素直に、正直に、恋の嘆きを歌う。生き生きと歌う。恋だけではありません。親しい家族を亡くして本当に辛い気持ちも、大声で泣いてしまうっていう気持ちも歌う。後の武家社会のように男は絶対泣くもんじゃないとか、やせ我慢してでもとにかく無表情でいろと。それとは全く違いますね。

 皆さん、ぜひ一度万葉の時代の男女の関係に戻って、好きな人に歌を送るつもりで「愛してるよ」の一言でも言ってください。1500年、1400年前の男たちは言ってたわけです。「愛している、君がいないと生きていても値打ちがない」と。女も言っていました、「嬉しいわ、あなたがそう言ってくれて、永遠に私たちの愛は続くのね」って。恥ずかしかったら万葉集の中から歌を抜き書きして、そっと置くとか。色々勉強にもなって良いかと思います。 今日は少しでも楽しく過ごしてくださっていれば嬉しいです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

参加者の声

  • これからの日本社会を考えるに、今回のようなテーマで、「女性として、堂々と生きることができる社会」「女性が権利をしっかり得られる社会」になるよう、このような機会がこれからも数多くあることを望みます。
  • 日本の歴史について、身近な内容でことばでわかりやすく話をされて、楽しい講演でした。
  • 武家社会からの流れを断って、みんなが自分の能力を生かせる社会になるとよいと思う。
  • 子どもの頃から大好きだった里中先生のお話をきくことができ、とても楽しかったです。