インタビュー記事
Mニュースvol.119(2017年10月発行)より全文

―俳優であり、介護福祉士という経歴の菅原さん。介護と演劇の相性の良さを実感したきっかけは?
僕はもともと小劇場の俳優として活動していました。20代後半にホームヘルパー2級の資格をとって老人ホームで働くようになった。その時に、演劇のレンズで老人ホームを眺めたらとても面白かったんですね。まずお年寄りが歩いている姿に俳優として負けるなと。存在感がとてもある。歩いている姿に、何かその人の人生や個性がにじみ出ている。皆さん70年80年生きてきて、人生のストーリーが膨大にある。歩いている姿。背後に字幕でその人のストーリーを流せば、これはもう立派な演劇。お年寄りほどいい俳優はいない。いつかお年寄りと芝居をつくりたいと思ったんです。
あとは、働いてしばらくして感じたのは、介護者は俳優になった方がいいのではないかという実感。老人ホームで働いていると、息子や時計屋に間違われたりするんです。最初は訂正していたけど、そのボケを受け入れることによって位、その人が見てきた世界・人生を想像することができるのではないか。また話を合わせると、今まで見せたことのない楽しそうな表情で語ってくれる。そんな経験があって、認知症の人とのコミュニケーションを考えるようになったんです。
認知症の人はこちらからするとおかしな言動、小さな失敗が増えてきます。それは中核症状があるから、仕方がないわけです。記憶障害とか見当識障害とか、判断力の低下とか。にもかかわらずボケを訂正したり、失敗を指摘しては、認知症の人の気持ちはかなり傷つくんじゃないか。論理や理屈は通じないかもしれないけど、感情はしっかり残っている。だから感情に寄り添う関わり方をしよう。それはつまり演技なんじゃないかと。
認知症の人も否定されると、ここは自分の居場所じゃないと思ったり、介護者に反抗したりしたくなっちゃう。論理にこだわるのでなく、その人が見ている世界を尊重した関わり方が必要なんです。
高校の頃に認知症の祖母と一緒に住んでたことがあるんです。そこで奇妙な体験をして。箪笥の中に人がいると言われたり、デイサービスで知り合った男性に恋をして、その人が迎えに来るから準備すると言って。近くを車が通ったら、その人が迎えに来たからと言って外に出て徘徊が始まっちゃったりして。今まで物静かだったおばあさんがいきなり変なものをみたり、恋バナを孫にしてきたりするわけです。それはショックでもありましたし、25,6の時におばあさんが亡くなった後も未処理のまま、あの体験は何だったんだろうと。
演劇やってても飯はくえないので、別のスキルを身につけようと思った時に、その時の思い出がよみがえって職業訓練でホームヘルパー2級を受けたんです。青年団※1っていう劇団に所属してたんですけど、俳優やりながら介護士やっている人は結構多かった。そういう人にいろいろ聞いて、介護っていう仕事に興味を持つようになった。
勉強してるときは向いてるかどうかわからなかったけど、現場に入ってみると楽しいなと。
【注釈】※1青年団…劇作家・平田オリザが主宰する劇団。フランスや韓国をはじめ、国際的な活動を展開。また、主宰の平田オリザは演劇の手法を使ったコミュニケーション教育にも力を入れており、全国の自治体で講演やワークショップを行っている。
―その後、2014年に移住先の岡山で結成されたOiBokkeShi(オイボッケシ)。そもそも名前の由来って?
ずばり老いとボケと死です。アルファベットにするとかわいらしい、ちょっとおしゃれに見えるかなと。世間の多くの方々はできれば老いたくない、ボケたくない、死にたくないと思っているのではないかと思います。マイナスのイメージがあるのではないかなと。しかし、多くのお年寄りと接する中で、老い・ボケ・死から得る大切なこともあると気づいたんです。実際に僕は老人ホームで働くようになってから、岡山への移住っていう大きな決断をしたり、更にはその地で演劇ユニットを立ち上げたりと、以前にも増して、よりよく生きようっていう気持ちが湧いてきたんです。そういった老いの豊かな世界を演劇活動を通じて、地域に発信することができたら。そして老い・ボケ・死を排除するのでなく受け入れる文化を地域に創出するお手伝いができたらと思っています。
―こういった活動をしようとした時に、最初まわりの反応はいかがでしたか?

まず僕は岡山県和気町というところに移住したんですが、東京と比べたら演劇の文化っていうのは圧倒的に乏しい。ここで演劇をやるためにはどうしたらいいのかと考えた時に、介護と演劇は相性がいいという実感があったので、介護に困ってる人、介護の問題に直面している人はたくさんいるので、介護っていう入り口から演劇の楽しさを知ってもらえたらなと。それで、老いと演劇のワークショップをやったんです。つまり介護関係者が演劇WSを通じて、演劇関係者になってもらえたらと。最初は介護と演劇って別々の分野だと思われていて、なんでそれが結びつくの?という方もたくさんいました。しかし、介護現場で働いていて、職場の同僚に話すと、とても相性がいいよねと言ってくれる人も多かった。僕が実際にやっていることは、ワークショップではボケを受け入れる演技って言ってますが、それは特に新しいことではなくて、ベテランの介護職員は自然にやっていることなんです。介護の現場でやっていることを演劇のフィルターを通して一般の方々にお伝えできたら。僕は介護現場はとても楽しいと思った。けれど世間では3K(きつい・汚い・給料が安い)などマイナスのイメージあります。確かに時間に追われて疲弊している方もいますが、介護をイキイキと楽しんでいる方もいらっしゃる。僕もその1人だった。この介護の世界の楽しさ、豊かさを、ワークショップやオイボッケシの公演を通してお伝えできたらと思っています。WSを体験してもらえたら、皆さん納得してくださいますね。
オイボッケシのメンバーは、和気町の商店街の皆さん。建具屋さん、時計屋さん、手芸屋さん…町の方々が参加してくれました。その他ワークショップに参加してくれた看板俳優の91歳の岡田忠雄さん(僕らはおかじいと呼んでるんですが)。岡田さんは認知症の奥さんを10年間在宅で介護されてた。介護している中で衝突があったりして、奥さんとどう向き合えばよいのか悩まれてたんです。そこで、新聞記事の「ボケを正さず演じて向き合う」っていう見出しに惹かれてワークショップに参加してくれたんです。岡田さん自身、その後喧嘩が少なくなった。
―OiBokkeShi(オイボッケシ)ではどんな公演を?
いちばん最初は認知症徘徊演劇『よみちにひはくれない』(2015年/和気町駅前商店街)。劇場の中ではなく街中を舞台にして演劇をつくりました。2作目は、これも劇場ではなく学校で上演したんですが、少子高齢化で学校が廃校になり、老人ホームとして再利用されている設定の『老人ハイスクール』(2015/旧内山下小学校、岡山県立和気閑谷高等学校)。3作目は在宅介護をテーマにした『BPSD:ぼくのパパはサムライだから』(2016年/旧内山下小学校)。それは、息子が認知症のおじいさんを介護しているっていう話です。

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よみちにひはくれない -
老人ハイスクール -
BPSD:ぼくのパパはサムライだから
―2016年には岡山県奈義町のアート・デザイン・ディレクターにも就任され、「ちょいワルじいさんプロジェクト」など面白い企画を実施されています。奈義町での取り組みについても教えてください。
アート・デザイン・ディレクター=街づくりにかかわるお仕事です。僕は主に、福祉と介護、芸術文化の分野の街づくりに関わっています。社会福祉協議会や、地域包括センター、地域の介護事業所、診療所と連携しながら、色々企画を立てています。今やっているのが、自然とアートの「生涯『総』活躍のまち」。町内19地区あるんですが、今年度中に全地区で老いと演劇のワークショップの実施を目指しています。あとは、「ちょいわるじいさんプロジェクト」。これは高齢男性が要介護や要支援状態になると、引きこもりがちになったり、お酒を飲みすぎてしまったり、家族に依存してしまったりという傾向が全国的にみられる。奈義町も例外ではなくて、その時にどうすれば介護サービスを利用してくれるかという問題を自分事として考えてくれる60~80代の有志の男性に集まってもらって、課題解決に対して皆さんと作戦会議をしています。今出ているのが、スナックのようなデイサービス(男性限定笑)や、介助付きの日帰り温泉旅行。スナックのようなデイサービスは、建物もスナック風にして女性介護職員がスナックのママになってお酒をふるまったりしたら、もしかしたら喜んで来てくれるかもしれない。介護って画一的なサービスになりがちなんですが、それぞれの特性を上手く汲み取ったサービスをできたら。アート・デザイン・ディレクターってカッコいい肩書きですけど、僕の解釈としては、地域の課題を芸術文化と結び付けて、クリエイティブに解決できる方法を探っていけたら。お年寄りから子供まで楽しみながら支え合う場つくりができたらと思っています。
―三重でも、5月24日には三重県津市の武内病院で看護師の皆さん、6月30日には高田短期大学キャリア育成学科介護福祉コースの2年生に向けた体験講座を実施していただきました。三重での受講者の皆さんの反応はいかがでしたか?
実は看護師さんに向けては初めてだったのですが、現場で役立てそうだの声がとても嬉しかったですね。すぐに盛り上がってくれたので、もともと楽しみ方を知っている方々なんですね。いい女優さんがたくさんいらっしゃいました。
―3年間の展望は?
病院・介護を学ぶ学生・介護家族・老人ホームの職員…ワークショップの対象となる方々は介護を中心として、共通点はあるけれど、微妙に立ち位置が違ったりするわけです。3年間でそういった方々が集まって、異なる価値観をすり合わせて新しいコミュニティーのような、演劇作品になるのかわからないけど、そういったものを作りたいと思っています。そこにはもちろん高齢の方もいて、介護する/されるの関係を超えた土台のうえで出会える、新しい介護の在り方、老いの姿を提示できたらと思います。
―菅原さんご自身は、どんな老後を思い浮かべていますか?
それはもう好きなものをずっと好きでいたいに尽きます。介護の仕事をしてても、好きなものがはっきりしてる人だと介護・支援の仕方は簡単なんです。それをやってもらえればいいわけですから。岡田さんは俳優が好きなので、関わる人は監督になればいいわけです。僕は一俳優だったが、岡田さんと出会ったことで、僕のことを「監督、監督」って指示やセリフ、役を待ったりしているので、ああ岡田さん役割を求めてるんだと。だから僕は監督を演じようと。岡田さんには命の限り俳優という役を全うしてもらう。僕も監督を全うして、介護者には役者を演じてもらえたらと思っています。