りょうがん所長のつぶやき

朝の風景から想う・・・

冷え込む朝、息が白く、顔にあたる風が、きびしい季節です。
そんな時、心温まる朝の風景に、出会い、気持ちがゆるやかに、幸せに包まれました。
早朝、中学生が、真っ赤なほっぺで、部活動にいくのだろうか、
一生懸命自転車のペダルを踏み、「いってきまーす!」の声で家をあとにしました。
偶然、僕は車で通りかかり、この風景に、おもわず心のカメラがシャッターをきりました。
中学生の子どもをまっすぐに、いつまでも見送る母親の姿でした。
どんな想いで我が子を見つめているんだろう・・まっすぐな母の瞳に、詩が自分の心の
奥からでてきました。

              「中学生の君へ・・・」
 朝 あなたが見えなくなるまで 見送ってくれている母を 
 あなたは知っていますか
 長い時のなか 雨のなか ひとり ただただ あなたを見送っている母を
 あなたは知っていますか
 颯爽と自転車にのる娘をまぶしそうに、誇らしげに、そして不安いっぱいで
 あなたの姿が見えなくなるまで 立ちつくしてくれている母を  
 母を あなたは知っていますか
 気をつけて がんばって 大丈夫 
 たくさんの母の言葉が冬風に飲み込まれ、それでも、願い、見送ってくれている 
 やさしい母の姿を 母の想いを あなたは、知っていますか・・・
 いつの日に、どんなときに、あなたは、気づくのだろうか・・・  
 母のまっすぐな娘をみつめる瞳を 
 どこまでも信じ続ける母のやさしさを・・・

この娘と母の風景に、「世界でいちばん美しい姿」の話を伝えたい。
そう想いました。かけがえのない、なにげない風景に気づく愛の話です。
 
             「世界でいちばん美しい姿」
韓国で実際にあった話を放送作家のイ・ミエさんが文章にし、女優の笛木優子さんが
翻訳した書籍「世界でいちばん大切な思い」。
その冒頭に収録されている「世界でいちばん美しい姿」・・・
「おばちゃん、肉まん2つね」
「はいよ、おばちゃんの肉まんはお手製だからおいしいだろ」
その母親は、美術学校に通う娘が、絵の勉強を続けられるように、市場の片隅の
小さな店で肉まんや餃子を作って売っていました。
毎日毎日1日も休むことなく。
ある日曜日の午後、朝からたちこめていた雲から大粒の雨が落ち始めました。
「夕立だからじきにやむだろう」ところが、1時間たっても2時間たっても
一向にやむ気配がありません。それどころか、ますます雨足が強くなってきました。
「こりゃ、全然やみそうにない。そろそろあの子の授業が終わる時間なのに。
 お客も来ないし、今日はここまでにして、傘を持っていってあげないと」
母親は急いで店じまいをすると、大通りの屋台で傘を2本買いました。
そしてその足で娘の美術学校の前までまっすぐかけていったのです。
ところが建物の入り口の扉に手をかけた瞬間、はっと自分の服装に気づきました。
履き古したつっかけに小麦粉で白く汚れたエプロン姿。娘は女子高生、多感な年頃です。
娘の心を傷つけないように、母親は建物の下で授業が終わるのを待つことにしました。
しばらくたって、ふと3階の窓を見上げた母親は、ちょうど窓から顔をのぞかせていた娘と
視線が合いました。
母親は笑顔で手を振ったのですが、娘は見て見ぬ振りをするかのように、ときおり窓から
顔をのぞかせるばかりです。
みっともない姿の母親に来ないで欲しいと思っているかのようでした。  
母親はすっかり肩を落とし、ひとりで帰りました。
それから1ヵ月がたったある日。
「お母さん、来週なんだけど、わたしの学で展覧会があるの。
  わたしの絵も展示されるのよ。はい、これ招待状よ」
母親は招待状を手にしながら、行くとも行かないとも答えることができませんでした。
自分のような母親が行ったら、娘が恥ずかしい思いをするだろうという思いを拭いきれ
なかったのです。
展覧会の当日、母親はやはり行くまいと心に決め、市場でいつものように肉まんや餃子を
作って売っていました。でも、本当は行きたかったのです。そんな気持ちが態度に出て
いたのでしょう。
「自分の娘の展覧会だろ。格好なんか気にしないで行っといでよ。店はみててあげるから」
市場の仲間のそんな言葉を聞いたとたん、母親はいてもたってもいられなくなりました。
店を頼むと、あたふたと娘の教室へ向かいました。もう辺りは暗くなり始めていました。
「もう終わってしまったかな・・・」
学校に着いてみると、展覧会はまだやっていました。
母親はもう誰もいなくなった教室に入り、壁いっぱいにかけられた絵をひとつひとつ目で
追いました。
「どれが娘の絵なんだろう」
そのとき、ひとつの絵が母親の目に飛び込んできました。
すると、母親の目にみるみるうちに涙があふれたのです。
 『世界でいちばん美しい姿』  
その絵の題名でした。雨、傘、小麦粉だらけのエプロン、そして古びたつっかけ。
仕事着のまま娘を待つ母の姿です。
あの日、娘は窓から見える母親の姿を心に収め、そしてキャンバスに描いたのです。
いつのまにか娘は母親のそばで明るく微笑んでいました。
母娘はふたり、ずっとその絵を眺めていました。世界でいちばん幸せな姿で・・・
「汚れたエプロン」、「履き古したつっかけ」、「傘」――
当たり前の日常の中に「かけがえのないもの」が息をひそめ、
「かけがえのないもの」は当たり前の日常の中で育まれている。

              万謝 三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

 

へこきまんじゅうに想いをよせて・・・

名張・四十八滝の入り口に「へこきまんじゅう」というものが売られています。
おもわず、ネーミングに吸い寄せられて、香り、そこで焼いてくれている方のぬくとさ、
たくさんの種類に「すんませーん!これください!」ということになるのです。
ちなみに、屁の香りはしません。
さつまいもをいっぱいに、つかったスイートポテトのような甘さ。幼い頃から、芋を
たべると「屁をこくぞ!」と言われてきたのが、昨日のことのようによみがえります。

子どもの頃は、甘いものや、今のようなお菓子もなく、畑で採れた少しばかり細くて、
曲がりくねった芋が、なによりのおいしいものでした。
学校から帰ると「おーい!おいしい芋たべるかあ?」と母が微笑んで言う。
鍋の中には、蒸し上がったホクホクの芋が、金色に輝いている。
母がその上に、塩をパラパラとふってくれると、もう心は芋に包まれた幸せ少年に
なっている。熱々をほおばると、なぜか「僕はしあわせだなあ・・」って、鼻のよこを
人差し指でなぞって、加山雄三のまねをするのです。兄が帰ってきて芋に飛びつき、
「おらあ、しあわせだなあ・・」って鼻をこする。姉が帰ってきて、芋をわしづかみに
して、口にくわえ「わたし、屁をこかんかなあ・・」って屁のような顔で言う。
すると帰ってきた父が「芋たべたら屁がでるぞぉ~!屁はくさいから、おれは
今日は食べやん!」そういうのです。
ばあちゃんもお母ちゃんもみんな芋をたべるなか、父だけが「おまえら、へこきや!
へこきや!ひょへへへぇ~」と笑いながら、からかうのです。
それから数分・・・僕たちは、芋しあわせワールドのなかで、浸っている時、大きな
屁の音が聞こえてきました。「ぶぼっぉ~ぷっ!ぷ~!」って。
それはあれだけさんざん僕たちをからかい芋を食べなかった、父が、強烈な香りと共に、
大きな屁をこいたのです。
父が、手で香りをあおる仕草をするとみんなが、鼻をつまみ、大笑い。
家族中が、顔をくしゃくしゃにして、芋を握って笑ってる。
芋を真ん中に、家族で大笑いしている風景が、僕の心のなかのカメラにいつまでも、
収まっています。

「へこきまんじゅう」を手にしたとき、その心の中に、おさめた家族写真が何枚も
現像されてきました。心のカメラの映像に涙がこぼれだしました。
今はいない、あのときの家族、そして笑顔がそこにあったのです。
おいしいこのまんじゅうのなかに、しあわせの餡が詰まっていたんです。

もうすぐ、木枯らしが吹く季節。こころ温まるしあわせが、そっとそばでいてくれ
るような気がします。「へこきまんじゅう」・・しょっぱい涙と一緒に、しあわせと
いう名の餡がいっぱいつまっていました。
何気ない風景に、忘れていた大切な家族写真も隠れていました。

           万謝 三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

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