りょうがん所長のつぶやき

「パチンコ店に就職した子の話」に想う・・・

パチンコ店に就職した子がいました。その子の話に
仕事とは何か、人を想う大切なことは何か、感動とはなんだろう・・・。
そのことが、心の奥にしみわたり、涙が止まりませんでした。その話を紹介します。

彼氏が急に病気でなくなり、苦しみもがきながら、思い出の場所をたずねてみたそうだ。
デートでは、いつもパチンコ嫌だったけど仕方なく、よく付き合わされた場所。
久しぶりに、彼と一緒によく行ったパチンコ屋さんに入った。
いつも座った奥の端っこの場所のパチンコ台。そこに座ると涙が止まらなくなった。
パチンコに負けて泣く人がいるかもしれないけど、何もせず、
泣いている人はなかなかいないので、目立ったんだろう・・・。
店員さんが「どうかされましたか?」と問いかけられた。
その声にまた、涙があふれた。
彼氏がなくなったこと、ここでよくパチンコをしていたこと、
思い出の場所にきたことを伝えるとなんと店員さんが、
「よく、覚えています。しあわせそうにしていましたから・・」と・・・。
そう言われて、本当に心からありがたいと思った。
1年ほどたって、また同じパチンコ店の前を通ると、そこには花輪が飾られていて、
新装開店の看板・・・。おそるおそるのぞいてみると、
すべて新しいピカピカのパチンコ台だった。
彼との思い出がなくなった。そう思ってのぞいてみると、
思い出の奥の端っこのパチンコ台だけ、よくみるとあのときのままだった。
そこにしゃがみ込み声をあげて泣いてしまった。1年たってもそのままだった。
店員さんに感謝を伝えたところ、
「思い出の場所、お客様にとって唯一のこの場所を簡単にかえることはできません。
会社でも話し合い、お願いしたところ社長が、残してやってください。
といってくれました。」と・・・。
なんという店員さんなんだろう・・なんていう会社なんだろう・・・。
こんな仕事がしたい、こんな人の想いを大切にしながら、働きたい。そう思いました。
そして、何度も涙をぬぐいながら感謝し、
彼女はそこに自分の生きる場所をみつけたのです。
それからは、この店に就職をし、そして、生き生きと働いているそうです。

お客様を思う心・・・。これは、どんな仕事でも、生き方でも同じだと思う。
それが、感謝する立場でなく、感謝される人として、感動を伝えていると思うと、
なんと素敵な仕事を見つけ、生き生きと毎日を生きているのだろう、そう思いました。
数字にかえて比較するもの・・・。
お金であったり、成績であったり、走る速さであったり・・・。
数字には変えられないものや、形にできないもの・・・。
愛であったり、他を想う心であったり、やさしさであったり、
それがどれだけ大切なもので、かけがえのないものかを知ったときの人は、
どれだけ、幸せになれるのだろう、そう想うのです。
感謝する立場でなく、感謝される人として、なかなか生きられないけど・・・。
                          万謝
            三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

きいちゃんの浴衣

誰もがお互いに、その人らしさを認め合いながら、
生きることができる社会をつくることができたら。
当然だよ!といわれるかもしれないけど、いまだに差別は存在しいて、
僕たちの心のどこかにも、潜んでいる気がして・・・。

 ここに「きいちゃんの浴衣」という話を紹介します。
あなたの心のひきだしに そっとやさしく この話をいれておいてくださいね。 
特別支援学校の先生・山元加津子さんの心洗われるエッセイ「きいちゃんの浴衣」。

                            「きいちゃんの浴衣」
 きいちゃんは教室の中でいつもさびしそうでした。たいていのとき、
うつむいてひとりぼっちで、すわっていました。
だからね、ある日、きいちゃんが職員室の私のところへ「せんせいーー」って
大きな声でとびこんできてくれたときは本当にびっくりしたのです。
こんなにうれしそうなきいちゃんを私ははじめてみたのですもの。
「どうしたの?」そうたずねると、きいちゃんは
「お姉さんが結婚するの。私、結婚式に出るのよ」って
にこにこしながら教えてくれました。
ああ、よかったって私もすごくうれしかったのです。

それなのにね、それから一週間くらいたったころ、教室で
机に顔を押しつけるようにして、ひとりで泣いているきいちゃんをみつけたのです。
涙でぬれた顔をあげてきいちゃんが言いました。
「お母さんがわたしに、結婚式に出ないでほしいって言ったの。
 お母さんは 私のことが恥ずかしいのよ。お姉さんのことばかり考えているのよ。
 私なんて生まなければよかったのに!」

きいちゃんは、やっとのことでそういうと、また激しく泣いていたのです。
でもね、きいちゃんのお母さんはいつもいつも、
きいちゃんのことばかり考えているような人でした。
きいちゃんは小さいときに高い熱が出て、それがもとで手や足が思うように
動かなくなって車椅子にのっています。
そして訓練を受けるためにおうちを遠く離れて、この学校へ来ていたのでした。
お母さんは面会日のたびに、きいちゃんに会うために、
まだ暗いうちに家を出て、電車やバスをいくつも乗り継いで、
4時間もかけて、きいちゃんに会いにこられていたのです。
毎日のお仕事がどんなに大変でも、きいちゃんに会いにこられるのを
一度もお休みしたことはないくらいでした。
そしてね、私にも、きいちゃんの喜ぶことはなんでもしたいのだと話しておられたのです。
だからお母さんはけっして、きいちゃんが言うように、
お姉さんのことばかり考えていたわけではないと思うのです。
ただ、もしかしたら、結婚式にきいちゃんが出ることで、
お姉さんが、肩身の狭い思いをするのではないか、
手や足が思うように動かない子どもが生まれるのではないかと
周りの人に思われるのではないかと、お母さんが心配されたからではないかと
私は思いました。
きいちゃんはとても悲しそうだったけれど、
「生まなければよかったのに・・」ときいちゃんに言われたお母さんも、
どんなに悲しい思いをしておられるだろうと私は心配でした。
けれど、きいちゃんの悲しい気持ちにも、お母さんの悲しい気持ちにも、
私は何もすることもできませんでした。ただ、きいちゃんに
「お姉さんに、結婚のお祝いのプレゼントをつくろうよ!」と言いました。

石川県の金沢の山の方に和紙をつくっている二俣というところがあります。
そこで、布を染める方法を習ってきました。
「さらし」という真っ白な布を買ってきて、
きいちゃんといっしょにそれを夕日の色に染めました。
そしてその布で、浴衣をぬってプレゼントすることにしたのです。 
でも、本当を言うとね、私はきいちゃんに浴衣を縫うことは
とてもむずかしいことだろうと思っていたのです。
きいちゃんは、手や足が思ったところへ、なかなか持っていけないので、
ごはんを食べたり、字を書いたりするときも、
誰か他の人といっしょにすることが多かったのです。
ミシンもあるし、いっしょに針をもって縫ってもいいのだからと私は考えていました。
でも、きいちゃんは「絶対にひとりでぬう!」と言いはりました。
まちがって指を針でさして、練習用の布が血で真っ赤になっても
「お姉ちゃんの結婚のプレゼントなのだもの!」って、
1人で縫うことをやめようとはしませんでした。
私、びっくりしたのだけど、きいちゃんは縫うのが、
どんどん、どんどん上手になっていきました。
学校の休み時間も、学園へ帰ってからも、きいちゃんはずっと浴衣をぬっていました。
体を壊してしまうのではないかと思うくらい一所懸命、
きいちゃんは浴衣を縫い続けました。
そして、とうとう結婚式の10日前に浴衣はできあがったのです。

宅急便でお姉ちゃんのところへ浴衣を送ってから、
二日ほどたっていたころだったと思います。
きいちゃんのお姉さんから私のところに電話がかかってきたのです。
驚いたことに、きいちゃんのお姉さんは、きいちゃんだけではなくて私にまで
結婚式に出てほしいと言うのです。
けれど、きいちゃんのお母さんの気持ちを考えると、
どうしたらいいのかわかりませんでした。
お母さんに電話をしたら、お母さんは
「あの子の姉が、どうしてもそうしたいと言うのです。出てあげてください!」と
言って下さったので結婚式に出ることにしました。

結婚式のお姉さんは、とてもきれいでした。そして幸せそうでした。
それを見て、とてもうれしかったけれど、でも気になることがありました。
結婚式に出ておられた人たちがきいちゃんを見て、なにかひそひそ話しているのです。
(きいちゃんはどう思っているかしら、やっぱり出ないほうがよかったのではないかしら)
とそんなことをちょうど考えていたときでした。
お色直しをして扉から出てきたお姉さんは、
きいちゃんが縫ったあの浴衣を着ていたのです。
浴衣はお姉さんにとてもよく似合っていました。
きいちゃんも私もうれしくて、お姉さんばかりをみつめていました。
お姉さんは、お相手の方とマイクの前にたたれて、私たちを前に呼んでくださいました。
そしてこんなふうに話し出されました。

「みなさんこの浴衣を見てください。この浴衣は私の妹がぬってくれたのです!
 妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由になりました。そのために家から離れて
 生活しなくてはなりませんでした。家で父や母と暮らしている私のことを
 恨んでいるのではないかと思ったこともありました。
 それなのに、こんな立派な浴衣を縫ってくれたのです。
 高校生で浴衣を縫うことのできる人がどれだけいるでしょうか?妹は私の誇りです!」

式場中、大きな拍手でいっぱいになりました。そのときの恥ずかしそうだけれど、
誇らしげで、うれしそうなきいちゃんの顔を、私は今もはっきりと覚えています。
私はそのとき、とても感激しました。お姉さんは、なんて素晴らしい人なのでしょう。
そして、お姉さんの気持ちを動かしたきいちゃんの頑張りはなんて素敵なのでしょう。

きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきました。
そしてこれからもきいちゃんとして生きていくのです。
もし、名前を隠したり、かくれたりして生きていったら、
それからのきいちゃんの生活はどんなにさびしいものになったでしょうか?
お母さんは、結婚式のあと、私にありがとうと、言ってくださいました。
でも、私はなんにもしていません。
私こそ、こんなに素敵な場面に出会わせてもらえてなんて幸せなのだろうと、
本当にありがたく思っています。
きいちゃんはお母さんに「生んでくれてありがとう・・・」とお話したそうです。

きいちゃんはとても明るい女の子になりました。
これが本当のきいちゃんの姿だったのだろうと思います。
あの後、きいちゃんは、和裁を習いたい!といいました。
そしてそれを一生のお仕事に選んだのです。

           万謝 三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

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