りょうがん所長のつぶやき

ケーキは踊る♪♪

クリスマス、大晦日、正月、誕生日、めでたい日・・・。
とにかく、やたらケーキが飛び交う今日この頃。
「お~景気がええねえ。」なんていう話でどこへいってもケーキが売られていて、
「あのさあ・・○○のケーキの生クリームが最高~」「○○のケーキはフルーツたっぷりで
ええよねえ・・・」なんていう会話が飛び交うのです。

僕は、ケーキの話になると心の中で、幼いころを想い出してしまうのです。
そのころは、ケーキなどほとんど食べたことがなく、あったとしてもクリスマスで父が
長靴のなかに、駄菓子がはいっている張りぼてのような靴といっしょに、バタークリー
ムのケーキを、高いお金で買ってきてくれたのです。
白いクリームにゼリーでつくった、イチゴに似せた丸いさくらんぼのようなもの・・
ひねり王子のように、ひねられた、バタークリームでできた緑のうず。
あれは、なにをあらわしていたのだろう・・。白いうずのようなクリームと点々と
ちりばめられた仁丹のようなアラザンと今では言われるもの。
ゼリーでできた、緑の葉っぱ。ロウソク・・・。
まさに、バターケーキの上部は、想像でしかみたことのない、サンタクロースの
住んでいる風景でした。張りぼての長靴を兄弟でとりあい、その靴をはき、
バタークリームを少しずつねぶる(なめる)のです。
包丁についた、クリームも!なんと至福のひとときなんだろう・・・。

そんな僕に忘れることのできない、ケーキにまつわる悲惨な事件がありました。
家族で、「湯川温泉」というひなびた旅館に泊まったときのことでした。
我が家では、はじめての家族旅行。一番ええ服と靴をはいて、寝癖をつけて、
わくわく気分でいきました。
風呂にはいって料理が運ばれてきました。みたことのない料理。
刺身、天ぷら、茶碗蒸し・・。
そして、そこには、緑色のきれいにひねられたバタークリームが刺身のそばで、
ほほえんでいました。視線は、そこに集中!ケーキや!!
兄弟がいるなか、だれよりも先にそのお魚のよこにある緑色のクリームに、
とられないように、箸をのばし、そのひとかたまりを 一気に口に放り込む!
幸せ感120%
その瞬間に、口がしびれ、涙が流れ、息ができず、もがき苦しみました。
それは「わさび」のかたまりでした。もがき苦しむ、自分を家族全員がわらいころげ、
僕は、苦しみ、ころげまわり、泣き叫ぶだけでその後の料理の記憶はなくしました。

いまでも、生クリームたっぷりなケーキをみると、用心深く、観察したあとに食べる
のです。
どこへいってもおいしそうなケーキが踊るのを見るたびに、あまり甘い食べ物がなく
貧乏でたべものをとりあった家族の風景が浮かぶのです。
でも、幸せだった。ひとりじゃなかったし、かたりあう家族がいました。
生クリームでフルーツがいっぱいの高価なケーキを、ひとりで食べるより、
安いケーキを奪い合いながら大勢でたべる。それが幸せなんです♪
もられたわさびが、今も怖いあたし・・・と、どこかうれしいあたし・・・が
一緒にいる。

           万謝 三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

あと1年間だけ生かせてください・・・

透き通るアオイソラをみあげると、一人の少女のことを想い出す。
息子が生まれて、1歳の時に「心臓に障害があります。手術が必要です。」
そう先生に言われた。
健気に微笑む子どもを見て、ぼくは、ただただ、涙落とすだけでした。
幸せになるために生まれてきたのに・・・

すぐに、天理市の大きな病院に入院しました。心臓の手術をするために・・・。
その病棟は、心臓に障害をもっている小さい子どもばかりの病棟でした。
どの子も生命を想い、戦っていました。7月7日 たなばたさまのお祭り、
病棟でささやかなお祭りをしました。
短冊に願い事をかき、少しばかりの幸せを感じあいました。
「退院できますように・・」「ドッチボールがしたい!」「おいしいものを食べたい!」
そんな願い事をみて、微笑みました。
そんな短冊の中に、胸をしめつけられ、涙おとす短冊がありました。

「あと1年間だけ生かせてください。」 きれいな字で書かれていました。
その子は、息子のとなりにいた少女でした。弱音をはかず、強い少女でした。
ママが娘の苦しい姿を見て、涙すると「わたしは大丈夫、ママが心配!泣いちゃダメ!」
そういってママを励ますのです。田舎から孫のお見舞いにおじいちゃんが来てくれました。
そんなときも、「おじいちゃんの面倒は、私が見るから、元気でいてよ。」
そう言うのです。おじいちゃんは、たまらず、廊下にでて涙を落としていました。
この少女は、いつもおじいちゃんに、キティちゃんのシールをおねだりしてました。
息子まで、チアノーゼの症状がでると、励ましてくれました。
この子の方がずっと、苦しいはずなのに・・・。

手術の日が、カテーテル検査を受け、きまりました。
午前は、この強い少女。午後は、息子。同じ日でした。
「がんばろうね!」励ましてくれたのは、少女でした。

手術が始まり、2時間たったときに、控え室にいた僕に、
少女のママの声が聞こえてきました。
「生きてさえいてくれたら、よかったのに・・・」 
僕は、この言葉が今も、心の真ん中に突き刺さっています。
手術中に命をおとした、少女。あれだけ、頑張ったのに、
あれだけ、僕たちにやさしかったのに・・あれだけ・・・控え室でただただ泣きました。
息子にいいました。「生きて帰ってきてね。それだけで、いいからね」と・・・。

何時間もの手術のあと、生きて帰ってきてくれました。何日もたってから、元の病室へ。
隣のベットには、あの少女は、いません。
でも、キティのシールだけが、いっぱい張られてました。
あるとき、看護師さんが、ベットのシールをはがし始めました。
寂しさのあまり見ていると、シールでかくしたベットの板にあの子の文字がでてきました。
キティのシールの裏には「こわい!」「生きたい」「パパありがとう ママありがとう」
きれいな字で少女のメッセージが隠されていました。僕たちは、次々とでてくるその少女の
生きようとするメッセージに涙が止まりませんでした。
生きてこそ!生きていてこそ!生きてさえいてくれたら・・・

涙がとまらなくて、見上げた空が、青くて、青くて・・・。
アオイソラをみあげると一生懸命生きた、少女を想いだす。
僕たちは、幸せになるために生まれて、幸せになるために生きている。
生きてこそ・・・想う・・アオイソラが瞳にまぶしい・・・。
涙のむこうにアオイソラが見えるよ。

           万謝 三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)



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