りょうがん所長のつぶやき

弁当に想う・・・

学校では、ほとんどが給食になり、おいしくて、栄養バランスを考えた食事が
できるようになりました。 
それまで、子どもの弁当は、豪華なものであったり、コンビニのパンだったり、
なかには、何もなく、じっと教室の隅で寝て、我慢していた子もいました。 
弁当の様子で、子どもたちのおうちの様子が少し見えてくるような気がしました。

シンガーソングライター 半崎美子さんの「弁当箱の歌」があります。
毎朝、弁当をつくる母の愛、残したかどうかでわかる、我が子の様子と健康・・・。
弁当を通して会話をしています。
 そして、子どもが、巣立ち弁当が必要ではなくなり、最後の空になった弁当箱に
「長い間、弁当ありがとう」のこどもからのメモに涙する母の歌・・・。
給食にはない、大切な物語が、弁当をとおして、そこにありました。
 
ここに、ある学生が、感謝というテーマで、母について語ってくれました。

わたしの母が作る弁当は、毎日、身体が弱いからか、不器用だからかわかりませんが、
いつもお世辞でも、上手といえないような弁当でした。
わたしは、それが恥ずかしくて、毎日、ゴミ箱に捨て、食堂でたべていました。

ある朝、母が「今日は○○ちゃんの好きなエビをいれたからね!」といってきました。 
わたしは、聞く耳を持たず、母を無視して弁当を持ち、家をでました。
学校で弁当を開いてみると、それは、ひどく、へたくそなものでした。
殻もむけていなくて、ひどいものでした。 
わたしは、悪いなと思いながらもゴミ箱に捨て、食堂で昼食を食べました。

帰宅すると母が「今日のお弁当どうだった?」 としつこく聞いてくるので
「あんな、弁当捨てたよ!! 今度から弁当つくんなくていいから!」と強く言い放つと
「気づかなくてごめんね・・・。」と涙ぐみながら母は、私に謝まりました。
それを機会に、母は、弁当をいっさい作らなくなりました。
 
それから、半年後、母は突然、死んでしまいました。
前から病気だったらしい・・・母の部屋の遺品を片付けていると
母の日記帳が、奥のほうからでてきました。
見てみると、「きょうは卵焼きをいれた。手が震えて、うまくやけなかった」や
「今日はおにぎりを作った。あまりうまく三角にできなかった・・・。」
など弁当のことばかり書いてありました。
そして「今日は○○ちゃんの好きな海老をいれた。手が震え、
あまり殻が上手くむけなかったけど喜んでくれるかな?」と書いてあり、
それから日記が書かれていませんでした。 

なんで、食べてあげなかったんだろう・・・。
どうして、母の弁当をゴミ箱に捨てたんだろう・・・。
その場で日記帳を抱きしめて泣き崩れてしまいました。
何回も、何日も泣いたけど、母は、帰ってきません。
「わたしのほうこそ、何も気づかなくてお母さん、ごめんね!」
もうなんにも はいっていない、弁当箱を見て母をずっと、ずっと想っています。

なくしてから、きづくこと、きづくもの、それは、あまりに多すぎて・・・。
感謝のなかに、愛おしい親子の姿が見えてきます。

    万謝
            三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

きよし

きよしは、歩いて33歩の所に、住んでいました。
大股で行くと、19歩できよしの家でした。 
きよしは、あほでした。 きよしは、いつも一緒でした。
「はなくそ どんだけ大きくできるかのう~」そう言って、
せっせと鼻くそを丸めていて、1ヶ月ほどして、
「でっかいやろ!」そういってゴルフボールほどの、鼻くそを作成してました。
「ひろし!キャッチボールしよ!」そういって鼻くそボールを渡してくれました。
見事な黄金ボールできっと、泥もまぜて、磨きを入れたんだろう、宝石のようでした。
堅くなった鼻くそボールを思いっきり、きよしに投げました。
突然の投球に、反応できないきよし。鼻くそボールは、きよしの口に・・歯にあたり、
くだけ、歯がかけ、くだけた鼻くそを飲み込みながら、泣きながら
「鼻くそで血が出たあ~!」とさけび、33歩でいけるきよしの家に、消えました。
それから3日後、鼻くそボールをにぎりしめて
「死ぬまで、鼻くそまるめたる!どんだけ、大きくなるやろ・・・。
  俺の夢や!!よう見とけよ!!」と・・・。
きよしの夢は、壮大で、誰もが、成し遂げようとしない夢でした。
きよしは、僕にとって最大のライバルでした。 
いつも競争していて、どれだけ大きい石を飲めるか・・・。
どれだけ高いところから飛べるか・・・
どれだけ蛇をつかまえて長い縄跳びを作れるか・・・
どれだけ、大きいおならができるか・・・。いつも一緒で、ライバルでした。 
「小学校に入学したら、絶対、おんなじクラスになろうな!」
そう誓い合って入学したら、同じクラスで「願いは叶う!」そういって喜びました。
この学校は、1学年1クラスです・・・。
きよしと一緒に生きてきて、いつも同じ場所で空気を吸い、兄弟のようでした。
ラグビーも一緒に始め、お互いルールをあまり理解していませんでしたが、
立派な身体と逃げ足だけは早くて、全国屈指のラガーとなりました。
きよしと恥ずかしながら、おじさんになってから、ディズニーランドに行きました。
ミッキーと一緒に写真とろうってことになり、ミッキーにお願いしたら、
無言でうなずいてくれました。 
きよしは「ごめーん!ミッキーはアメリカ人やから、日本語わからんのや!
おーあいむそーり~!」そう謝っていましたが、ミッキーは、肩をふるわせて、
笑いをこらえていたのを僕は見逃しませんでした。ミッキーはきっと日本人です!!

きよしは、あほです。そして、いつも一緒です。
ええおじさんに、お互いなりました。
夕方 家の近くでかわいい猫の声がしたので、僕は「ニャー!」っていうと、
むこうもまた、「ニヤアー」っていって、かわいくて、なんども猫の声で、
何処にいるんだろうと思いながら、猫を探していると33歩先の家のカゲから、
頭の毛がうすくなったきよしが、猫の声をしながらでてきました。
二人で鳴きあっていたことにぞっとしました。
お互いあほな子猫のような顔をして、言葉もかわさず、逃げました。
お互い逃げ足は、速いのです。

きよしは、あほです。 
とつぜん、鼻くそボールも大きくせず、ライバルの僕より、逃げ足早く、死にました。
白血病でした。
12月末の寒くて忙しい時に、僕をおいて全力疾走で逝きました・・・。
僕には、かけがえのない生命がそばでいました。 
その生命の名前は「きよし」といいます。 
かけがえのない、あほな生命が、突然いなくなりました。
12月の風が吹き、あたらしい年をむかえるたびに、
「きよしよ!」ってあれから何年も声をかけてます。
時々、猫の声をまねて、よんだりもします。 
きよしは、あほです。
どんだけ、よんでも、どんだけ、話をしても、何もこたえてくれません・・・。
あほな「ひろし」だけが、今、ここにぼーっと生きています・・・。
きよしよ・・・。
あたらしい 年が、くるぞ~  ニャー~!  こたえてくれよ・・・。
ねずみ年やぞぉ~・・・。

    万謝
            三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

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