りょうがん所長のつぶやき

「とにかく、会話に、小さな《っ》をつける人々に想う・・・」

「いやあ、まだまだ暑いねえ~」とスタッフに言いました。
スタッフは、空を見上げこう言いました。
「めっちゃ!あっつぅ~!」と。おもわず反応する僕。
「ちいさい《っ》をつけるのは、流行しとるの?」 
「うっそぉ~!そう言いましたか?」なんていう話から今日は、想うのです。  
最近、テレビをみても、街角の会話の中でも、やたら《っ》がついているのです。 
こんな事を想うと、気になって、気になって・・・
「うっまあ~!」 「くっさあ~!」 「でっかあ~!」 「にっがあ~!」 なんて
強調するときや、感動するとき、オーバーにいうとき、とにかく《っ》がつくのです。

津にいる人は、《つ》をつけるのだろうか・・・ いやいや、そんなことはない。
全国津々浦々の人々が最近、《っ》をつけるようになってきている気がするのです。
津というと、うなぎ屋さんが多く、行列のお店がたくさんあって、
熊野出身の僕にとって、津はうなぎの店の宝石箱やと思うのです。
全国的にも、圧倒的に多いのでは・・・。

あるとき、津の有名なうなぎのお店に、友人と入ったとき、この《っ》が
うなぎの香りにまけないくらいに、店の中を飛び交っていたのです。
「うっわあ~!すっごい!ええ香り!」
「おっと~しっかしぃ、たっかいなあ~!」
「めっちゃ!めっちゃ!うっまあ~!」
「今日は、おおごっそぉ~やなあ!」
「うなぎ、でっかあ~!うっま!」
たしかに、《っ》をつけると、本当に、ガツンとその人の感動というか、
想いが伝わってくる気がしてきた。
これを《っ》をつけずに、言うと・・
「わあ~ 凄い!ええ香り!」
「しかし、高いね!」
「すごくすごく 美味しい!」
「今日は、ご馳走や!」
「うなぎ、大きいね!美味い!」こんな感じになり、平凡なうなぎの蒲焼きがそこに、
そっとうなだれて、横たわっている光景が浮かぶのです。
《っ》をつけるとたしかに、うなぎが、えらい元気で、煙の中でも凛とした蒲焼きで、
元気溌剌のうなぎの凛々しい姿が空に向かって立っている姿が浮かぶのです。

 この日を境に、僕も《っ》をつけてみようと思い、大声でしゃべってみました。
「うっわあ~!めっちゃ、今日の弁当、うっま~!しかも、やっすぅ~!うっまうっま!」
「・・・・・」
「みんな、えっらい、しっずかあ~やな! なんか、あったんかあ~!おっ?おっ?」
「所長!うっざぁ~!きっしょ!」そんなみなさんの心の声が聞こえた気がして、
このあと静かに食事をする自分が、そこにいました。   
秋は、そこに・・・     万謝
            三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

ある先生の話から~想う・・・

今、先生方が、悩み苦しみ、それでも前をみつめ、子どもの幸せを願い、
踏ん張っている。社会がかわりつつあるなかでも、子どもを想い、歯を食いしばって、
毎日を過ごしている。
ここに、はじめて先生になった人の心あたたまるお話を紹介したいと思います。
自分なりにお聞きした話をまとめてみました。

あたらしく学校の先生になりました。そして、5年生の担任になりました。
うれしくて、うれしくて、ずっと子どもを見つめよう。ひとりひとりの光をみつけよう。
そう思って張り切っていました。
引き継ぎのとき、一人一人の子どもの記録をみていきました。 
すると、一人の男の子の事がいっぱい書かれていました。そこには
「いつも服装が汚れていて、だらしがなく 口数もすくなく、暴力をふるう
 要注意な男の子。」
たくさんの暴力事件、暴言、教師への悪口など、悪いことばかり書かれていました。
教室へいって、その子をみると、やはり服装はきたなく、ふてくされて机に伏せたまま、
声をかけても「うるさい!くるなボケ!くそばばあ!」そんな言葉が返ってきました。
他の子どもも「あの子に近寄らんほうがええよ。」とか「ほっとけ!」とかという言葉が
かえってくるばかりでした。楽しみに先生になったのに・・・。
夢をもって先生になったのに・・。こどもとの出会いのなかで、夢と現実のギャップが
交差して、とても悲しく、教師をやっていくことに自信が持てなくなりました。
でも、どうしても、気になってこの子のことを、調べてみました。
すると、1年生からの記録がいっぱいに書かれていました。
1年 ほがらかで人に親切でやさしく勉強好き。と書いている。
   これは、まちがいではないか!そう先生は、おもいました。
2年 母が病気。遅刻が多い。
3年 母、病気が悪化。死亡。それから、無口になる。宿題しない。
4年 父親再婚。学校で暴力事件多数。「自分はどうせ、ダメなんだ!」という口癖、
   きめつけ多い。成績悪い。勉強しない。

この先生は、この子に声をかけました。「一緒に夕方、勉強しない?」
「いつでもいいから、ずっと待っているから・・」笑顔をたやさず、
何度も声をかけ続けました。 
それは、1年生の時のあの記録が、忘れられなかったから・・・。
雨がいっぱいふる日、カサがなく、うろうろしているこの子に、
笑顔でまた、声をかけました。「一緒に勉強しない?」
すると、「ほんとに、教えてくれる?はじめから!」そう返事がかえってきました。 
「1年生からやろうか・・」そういって始めた、雨の日の放課後の教室。
それから、毎日、くるようになりました 1ヶ月たち2ヶ月たち、あれから9ヶ月毎日、
放課後おとずれ、そのころには、みるみる学力もつき、自信もついたのでしょう、
あかるく、やさしい男の子になってきていました。
寒いクリスマスの日、学校から帰った先生。 
自分の家の玄関に小さい箱と手紙がおかれてました。手に取り手紙を読むと、
「先生、ありがとうございました。先生のおかげで、勉強が楽しくなってきました。
  これ、クリスマスプレゼントです。これしか、ありません。使いかけですが、
  あまり入ってないですが、死んだお母ちゃんの香水です。」と書かれていました。
この先生の目から、みるみる涙があふれ、ずっと玄関先で、この小さい箱を握りしめ、
泣き続けました。それから、その香水を1滴、2滴つけて、その大切なこの子のお母さんの
香水を返そうと、男の子の家にいきました。真っ暗で何度よんでも誰もでてきません。
しばらくすると、真っ暗な部屋の奥から男の子が、でてきました。
そして、その香水の瓶をわたそうとすると、涙いっぱいためて立っていました。
「ありがとう大切なものを…」そう言いかけたとき、
この子が先生の身体に飛び込んできました。そして、先生の腕の中で泣き続けました。
きっと、それは、母の香りがしたからなんです。
それからも、勉強し続け、6年生になり、卒業式に、
「先生は、お母さんでした。僕は先生が大好きです。だから、もっともっと勉強して、
 先生に会いに来ます。本当にありがとうございました。」と。

6年後、高校を卒業し、公立大学の医学部に入学し、医者を目指しました。
10年後、患者の痛みに寄り添う、立派な医者になりました。
そして、先生のところへお手紙が来ました。それは、なんと結婚式の招待状です。
「5年生の時の、先生との出会いが僕の始まりでした。いつも先生のことをつらいとき、
 苦しいとき想い出して、がんばりました。最高の先生、そして僕の母でした。」と。
  そして、その招待状には「母の席に座ってください。先生は僕の母ですから・・」
と結ばれてました。

男の子は、先生との出会いで、自分をみつけました。先生もこの子との出会いの中で、
教師として大切なことを学びました。出会いは人を変えることができる、
そんなチャンスなのかもしれません。
先生は、この子にもらった、あの香水の瓶をあけ、結婚式の日、少しつけていきました。
あの子のお母さんの香りを身につけて、母の席に座りました。
キャンドルサービスであの子が近くにきました。すると、立派になった彼がポロポロと
涙を落としながら、しゃがみ込み、泣いていました。お母さんの香りがしたのでしょう。
そのそばで、お嫁さんがやさしく微笑んでいました。
そこにお母さんの香水の香りに包まれた3人のしあわせな姿がそこにありました・・・。

先生とこの子との出会い… 今頑張っている、先生方にこの話を伝えたい・・・。
そう僕は思いました。ちなみに、自分も教師のはしくれでしたが、さっぱりでした。
こんな先生もいると思うと、希望がわき、がんばれる気が、僕にはしたのです。

                          万謝
            三重県生涯学習センター 所長 長島りょうがん(洋)

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