第2回 母娘関係 母と娘を縛るジェンダー規範

娘にとっての母・母にとっての娘

 母親とは単純には、子どもを産んだ人であり、子どもをケアし育てる人である。自分一人では何もできない子どもは全てを母親に頼る以外にない。身体的快感、情緒的快感の供給役である母親は、子どもにとって命の綱、救世主のような存在である。同時に、母親は子どもの生活のあらゆる面でのコーチ、監督役でもある。監視をし、評価をし、不足が見つかれば指導し叱咤激励もする。そのため母親は子どもにとって、自分を処罰することのできる怖い存在ともなる。実際に子どもに身体的快感や情緒的快感を供給する役割を担っている母親は、子どもの快不快をコントロールする絶対的な支配力を持っている。このときの、実像よりも大きな母親の記憶は成長した後も長く子どもの心に残り続ける。
 また娘にとって母親は人生で最初に出会う最も身近な大人の女性であり、自分のモデルとする最初の女性である。「お母さんのようになりたい」あるいは「お母さんのようにはなりたくない」のいずれにせよ、母親のありようは、娘にとって人生の指標の一つとなる。一方で母親は、娘の人生に自分の人生を重ねみる。幼くて、どのような大人になるのか、どんな人生を歩むのか定まっていないにも関わらず、母親は娘の将来を予測する。母親たちは自分自身の人生をなぞるように、娘の人生を見るのだが、こうした視線は娘を見る母親の目を曇らせることとなる。

子どもの社会化とジェンダー教育

 子どもを育てるとは、体の成長だけでなく社会に適応できる人間に育てることを意味している。これを社会化と言う。今の社会では女性と男性とでは異なる規範が適用されている。したがって、社会化の中にはジェンダー規範への適応、男の子は男らしく、女の子は女らしく育てることも含まれている。女の子と男の子とでは異なる将来が想定されているのだが、その人がこの社会の中で果たすことを期待されている役割を社会的役割期待と言う。この社会的役割期待に応える大人となるように子どもを育てることも母親の責任とされている。
 性別役割の代表である「男は仕事、女は家庭で家事育児」に示されるように、女性がこの社会で果たすべきとされているのは家庭内でのケア役割である。そして最も大きな社会的役割期待は子どもを産み育てることである。そのために男性に自分の子どもの母親になる人として、つまり妻として選ばれることが必要になる。母親は意識しているいないにかかわらず、結婚相手として男性に選んでもらえるような女性に娘を育てようとする。これが母親のジェンダー教育である。

母となるために

 結婚相手を選ぶときに重視することは何かという調査がある。第一位は、男女ともに「相手の人柄」である。第二位を見ると、女性が重視するのは、相手の経済力、男性が重視するのは相手の容姿容貌である。女性は男性の「お金」を見て、男性は女性の「顔」を見て配偶者を選ぶということで、お金を持っている男性に選ばれたいなら、女性はきれいなほうがよいということになる。
 心理学者の小倉千加子さんが言うお嫁さんにしたい女性の3Kとは「かわいい」、「家庭的」「軽い」である。最近はそれに「経済力」の K が加わり4Kだそうであるが、「きれい」ではなくて「かわいい」というのがポイント。きれいでもすましていてはダメ、かわいらしさ、愛嬌がなければダメということである。そして家庭的。ネット上の調査で、妻への不満の上位に「料理が下手」があげられているのを見たことがあるが、家事全般の中でも食事作りが重視されている。3つ目の「軽い」は痩せていること、小さいこと。この3つは女性誌が取り上げる3大テーマ、コスメ・ファッション、グルメ、ダイエット、にも符合しており、女の子とたちはこの要求に合わせて自己形成していく。付け加えるなら、経済力とは、夫をしのぐほどの経済力ではなく、家計補助を果たせる程度の経済力である。

母親のプル&プッシュ

 娘を悩ませる母親の言動に「プル&プッシュ」というものがある。「行きなさい、行き過ぎてはダメよ」のような矛盾する命令である。母親は上記の基準、お嫁さんにしたい女性の基準に適合するように娘を育てる。きれいに、だけどきれいすぎて高嶺の花だと思われないように、だけどあまり安っぽく見られないように、適度に愛想よくかわいらしく…、これが母親のプル&プッシュの根拠である。日本では高学歴と高収入とは相関関係にあるので、高学歴の男性と出会えるように、娘にも高学歴を期待するが、出来過ぎる必要はない。高学歴の男性と出会うチャンスを持てる程度に高学歴であってほしいが、女の子が勉強ばかりしているのも…、というのも、母親のプル&プッシュである。母親の多くはそれを「感じの悪い女性にはなってほしくない」「人に嫌われるような女性にはなってほしくない」と表現する。「安売りをすることはない」が、「万人に好かれる女性になりなさい」という母親の、これもまたプル&プッシュのメッセージである。

他者優先のトレーニング

 そしてもう一つ重要なのは、他者優先である。ケア役割を担うためには、他者の要求を読み取り、それを満たす行動ができなければならない。そのときに自分のニーズよりも他者のニーズを優先させることができなければならない。妻として選んでくれる相手の好みや要求に合わせることもそうだが、子育てにおいてもこれが重要な資質となる。自分の欲求を二の次、三の次にすることができなければ、手のかかる子どものケアはできないからである。そこで娘たちはケア役割の担い手として、日常生活の中で他者優先を訓練される。「テレビを見てないで手伝いなさい」と、男兄弟は言われないのに、自分だけが言われたという経験を持つ女性は少なくないが、母親の手伝いは家事のトレーニングだけではなく、相手の意向に合わせること、自分の欲求を中断させて他者の欲求を優先させるトレーニングでもある。
 そうやって他者優先のトレーニングを受けて育ち、いわゆる適齢期になったときにさらされるのが、結婚圧力と出産圧力である。生殖年齢の間に結婚して子どもを産めという圧力だが、娘を社会的役割期待にそうように育ててきた母親が最大の圧力になる場合もある。

子育て期に要求される母の自己放

 子育ての現実は、慌ただしく騒々しく、何かと感情を揺さぶられるものである。夫が不在がちの一人きりの子育てではその騒乱に孤独が加わり、仕事や活動を中断している場合には社会に置き去りにされたかのような焦りが加わる。それが子育て期の母の姿であるが、この社会が共有している母のイメージはそうではない。母なる大地という言葉に象徴されるように、静かにゆったりと全てを包み込み、癒し、愛し、慈しみ、惜しみなく全てを与えるというイメージである。子育ての現実と母なるもののイメージとの間には大変な落差があるのだが、実際に子育て期の女性はすべてを捨てて子どものケアをすることを期待されている。
 その要求に応え、自分の欲求を二の次、三の次にしてきた母親は、子どもの欲求を満たそうとするときに「私はこんなことしてもらったことがないのに」という、子どもにすれば、極めて理不尽な怒りを持つことがある。自分は誰からもケアされず認めてもらえないのに、子どもにはケアと愛情を与え認めてやらなければならないという、母親が陥るジレンマである。

母親をケアする娘役割

 娘は、こうした母親からのプル&プッシュ、結婚圧力、子産みの圧力、娘の家事や育児に対する否定的な言葉や理不尽な攻撃を拒否できない。母親のそうしたメッセージはこの社会のジェンダー規範と一致している。ケア役割を果たせという命令はもちろんのこと、女性は優しくなければならない、思いやりに満ちていなければならない、欲張りであってはいけない等々の命令であり、母からの攻撃を受け入れることも、またケア役割の一つとなる。
 ケアすること、つまり人の不足を見つけて何くれとなく世話をすることを自分の役割としている母親だが、それは基本的に男性および弱者に対してのことであり、成人した娘はこの対象ではない。必要に応じてケアをしたとしても、それは本来すべきサービスではない。ケアの担い手としての性を持つ娘は、母親の愚痴の聞き手として、日常の細々とした手伝いや、両親へのあれこれとした気遣いを示すことで、母親のケアの担い手としての役割を果たすこととなる。こうした役割への適応はこの社会で女性に課せられているジェンダー規範への適応でもある。